アグレッシブに生きない
この前、電車の中で、おっぱいのことばかり考えていた。
別に、いつもおっぱいのこと考えてるわけではないけれど、そのときは考えていた。
いつも考えているわけではない、ということは、いつも考えていない、ということではない。
僕はそのとき、森見登美彦の『美女と竹林』を読んでいたのだけれど、それを読みながらずっとおっぱいのことを考えていた。
この森見という作家は、近著で、おっぱいのことばっかり書いた章節を披露している。
そのことも影響しているかもしれないけれど、僕はおっぱいのことばかり考えていた。
僕は、車内に吊られた潮とか第三文明とかの広告を見上げて、「ちちはすうもんだなあ」と考えていた。
「だいのおとなもちちをすうんだなあ」と、相田みつをっぽく考えていた。
しかしちちをすうというのはじつはなかなかに滑稽な絵面ではあるまいか、とそこで思う。
こっけいだのう!!!
僕は、中尾彬の顔を想像してみた。
なかおなかおしていた(訳:ダンディダンディしていた)。
中尾彬のねじねじも想像してみた。
さらになかおなかおしていた(訳:ダンディダンディダンディしていた)。
別に、竹ノ内豊でもいいし、真田広之でもいいのだけれど、あんまり嫌われたくないので中尾彬で考えることにした。
そういえば、昔「パペの内豊」ってあったよなあ、なんだっけなあ、なんかの番組だよなあ…と脱線しかける。
中尾彬がセックスするところを想像してみた。
まあ、ちょっとあれだけど、「せっくすするよなあ、なかおあきらだって」と思った。
次に、中尾彬がちちをすうところを想像してみた。
「ああ、ああ…なかおあきらがちちをすうとる…」と思った。
それでも、ちちをすうのである、おとなだって。
そして、降りる駅が近づいて、なんとはなしに僕は「よし、これをblogで書こう!」と思った。
よくわかんないけど、「書きたい」と思った。「世界中の女性と男性に嫌われてもいい!」「でも、猫には嫌われたくない! 犬派だけど!!」。
どうでもいいけど、「おっぱい」という単語を生み出した人は偉大だ。
この語感の素晴らしさは、日本語の中でも群を抜いている(そもそも「ぱ行」は偉大)。
それは、「ちちはすべてのせいぶつにたいしてびょうどうである」という言葉を残した、カクーノ大学文化人類学部のロエ・サブッチ教授も述べていた。
ロエ・サブッチ教授は、偶然訪れたソルボンヌでの暴動の中、巨大な化け猫の肉球に潰され幸福感のなか圧死するわけだが、それについては本項と関係ないため割愛する。
そうして僕は、「また、もししよしくん(仮名)にでんわで鬱だのなんだのいわれるんだろうなあ」と思いながら、更新ボタンをクリックする。
「現実逃避であることは否めない!」と叫びつつ。
現実逃避ばかりしているものだから、知り合いに将来を勝手に不安視される。
危機感はいっぱいある。
「危機感!!」
けれど、なんとなく大丈夫な気がする。
限りなくポジティブな態度を持って、ネガティブ!!
「出世!」「安泰!!」そして「安直!!!」
エコとか、しんでしまえ。
「エコ」という外国語と「エゴ」という日本語の語感が似ているのは、偶然だけで片付けられる問題じゃない。
ゴミを分別するの嫌いだけど、スーパー行ってレジ袋有料とかアホかと思うけど、そうじゃなくて、もっとそれらしい言い訳を言ってみろと言いたい。
ファックです。ファッキンジャップです。
『東のエデン』、ラスト2話で追いてけぼりをくらった。
改めて見直して、ついていきたい。
どっちにしろ、映画版観ないと全貌はわからないんだろうけど。
なので映画版が観たい。
しかも2作公開とか、どんだけ守銭奴。
しかし、パンツが生きていて、半分残念で、だけどすごく嬉しい。パンツかっこいい。
ジョニーとか、四畳半とか、主人公の名字も「森美」とか、そもそもキャラクターデザインが羽海野チカだったり(←文庫版『夜は短し―』の解説書いてた)、なんだかもう森見テイスト満載に興奮する。
『サマーウォーズ』も観たい。
アニメーション作家で細田守と原恵一の二人は、名前見ただけで作品に興味を抱く。
『時をかける少女』も、最初は「はん! ふにゃふにゃ動きやがって」と歯牙にもかけなかったけど、今となってはなんだかんだ時々観てみたくなる作品。
しかしにほんのあにめーしょんはかねのにおいがプンプンだなあ!! ←偏見だ!と指弾していただいて結構
もう四十九日。
あなたはもうそこにいないのか。
別に、いつもおっぱいのこと考えてるわけではないけれど、そのときは考えていた。
いつも考えているわけではない、ということは、いつも考えていない、ということではない。
僕はそのとき、森見登美彦の『美女と竹林』を読んでいたのだけれど、それを読みながらずっとおっぱいのことを考えていた。
この森見という作家は、近著で、おっぱいのことばっかり書いた章節を披露している。
そのことも影響しているかもしれないけれど、僕はおっぱいのことばかり考えていた。
僕は、車内に吊られた潮とか第三文明とかの広告を見上げて、「ちちはすうもんだなあ」と考えていた。
「だいのおとなもちちをすうんだなあ」と、相田みつをっぽく考えていた。
しかしちちをすうというのはじつはなかなかに滑稽な絵面ではあるまいか、とそこで思う。
こっけいだのう!!!
僕は、中尾彬の顔を想像してみた。
なかおなかおしていた(訳:ダンディダンディしていた)。
中尾彬のねじねじも想像してみた。
さらになかおなかおしていた(訳:ダンディダンディダンディしていた)。
別に、竹ノ内豊でもいいし、真田広之でもいいのだけれど、あんまり嫌われたくないので中尾彬で考えることにした。
そういえば、昔「パペの内豊」ってあったよなあ、なんだっけなあ、なんかの番組だよなあ…と脱線しかける。
中尾彬がセックスするところを想像してみた。
まあ、ちょっとあれだけど、「せっくすするよなあ、なかおあきらだって」と思った。
次に、中尾彬がちちをすうところを想像してみた。
「ああ、ああ…なかおあきらがちちをすうとる…」と思った。
それでも、ちちをすうのである、おとなだって。
そして、降りる駅が近づいて、なんとはなしに僕は「よし、これをblogで書こう!」と思った。
よくわかんないけど、「書きたい」と思った。「世界中の女性と男性に嫌われてもいい!」「でも、猫には嫌われたくない! 犬派だけど!!」。
どうでもいいけど、「おっぱい」という単語を生み出した人は偉大だ。
この語感の素晴らしさは、日本語の中でも群を抜いている(そもそも「ぱ行」は偉大)。
それは、「ちちはすべてのせいぶつにたいしてびょうどうである」という言葉を残した、カクーノ大学文化人類学部のロエ・サブッチ教授も述べていた。
ロエ・サブッチ教授は、偶然訪れたソルボンヌでの暴動の中、巨大な化け猫の肉球に潰され幸福感のなか圧死するわけだが、それについては本項と関係ないため割愛する。
そうして僕は、「また、もししよしくん(仮名)にでんわで鬱だのなんだのいわれるんだろうなあ」と思いながら、更新ボタンをクリックする。
「現実逃避であることは否めない!」と叫びつつ。
現実逃避ばかりしているものだから、知り合いに将来を勝手に不安視される。
危機感はいっぱいある。
「危機感!!」
けれど、なんとなく大丈夫な気がする。
限りなくポジティブな態度を持って、ネガティブ!!
「出世!」「安泰!!」そして「安直!!!」
エコとか、しんでしまえ。
「エコ」という外国語と「エゴ」という日本語の語感が似ているのは、偶然だけで片付けられる問題じゃない。
ゴミを分別するの嫌いだけど、スーパー行ってレジ袋有料とかアホかと思うけど、そうじゃなくて、もっとそれらしい言い訳を言ってみろと言いたい。
ファックです。ファッキンジャップです。
『東のエデン』、ラスト2話で追いてけぼりをくらった。
改めて見直して、ついていきたい。
どっちにしろ、映画版観ないと全貌はわからないんだろうけど。
なので映画版が観たい。
しかも2作公開とか、どんだけ守銭奴。
しかし、パンツが生きていて、半分残念で、だけどすごく嬉しい。パンツかっこいい。
ジョニーとか、四畳半とか、主人公の名字も「森美」とか、そもそもキャラクターデザインが羽海野チカだったり(←文庫版『夜は短し―』の解説書いてた)、なんだかもう森見テイスト満載に興奮する。
『サマーウォーズ』も観たい。
アニメーション作家で細田守と原恵一の二人は、名前見ただけで作品に興味を抱く。
『時をかける少女』も、最初は「はん! ふにゃふにゃ動きやがって」と歯牙にもかけなかったけど、今となってはなんだかんだ時々観てみたくなる作品。
しかしにほんのあにめーしょんはかねのにおいがプンプンだなあ!! ←偏見だ!と指弾していただいて結構
もう四十九日。
あなたはもうそこにいないのか。