自分自身への虐待以外にも
父親の母へのDVを見て育ったのは今でも大きな傷となっています。
母へのDVはかなり激しいものでした。
苛烈なモラハラに暴力、母へのイジメに加担することを強要されることもありました。
母への発言はひどいもので、
「お前は必要とされていないイラン人」
「殺すのも嫌やから目の前から溶けて消えてくれへんかな」
「お前は何言われても何にも感じへんもんな」
という人格や存在を完全に否定するような発言が当たり前でした。
母本人への暴言の他にも、私に母への不信感を植え付ける発言を常にしていました。
「あいつ(母)は変なやつやからな」
「あいつは子供のことをまったく愛してない」
「あいつ信じたらあかんで、俺がどんな目にあったか」
などと日ごろからさんざん言われていました。
父は自分で「おかあを信じちゃいけないよ♪」という節をつけた歌を作って、いつもそれを聞かされていました。今でもそれが耳に残っています。
父親の母へのDVを見て育ったのは今でも大きな傷となっています。
母へのDVはかなり激しいものでした。
苛烈なモラハラに暴力、母へのイジメに加担することを強要されることもありました。
母への発言はひどいもので、
「お前は必要とされていないイラン人」
「殺すのも嫌やから目の前から溶けて消えてくれへんかな」
「お前は何言われても何にも感じへんもんな」
という人格や存在を完全に否定するような発言が当たり前でした。
母本人への暴言の他にも、私に母への不信感を植え付ける発言を常にしていました。
「あいつ(母)は変なやつやからな」
「あいつは子供のことをまったく愛してない」
「あいつ信じたらあかんで、俺がどんな目にあったか」
などと日ごろからさんざん言われていました。
父は自分で「おかあを信じちゃいけないよ♪」という節をつけた歌を作って、いつもそれを聞かされていました。今でもそれが耳に残っています。