入院19日目 副作用の始まり | 三女は卵黄嚢ガン闘病~寛解。パパは走り続け、親父の背中を見せる!

三女は卵黄嚢ガン闘病~寛解。パパは走り続け、親父の背中を見せる!

フライフィッシングとウルトラマラソンにハマったパパの娘が、2015年11月に卵黄嚢腫瘍と診断、闘病を経て2016年4月に寛解。ガンと闘いながら走り続ける我が家の話。少しでもどなたかのお役に立てれば。

抗がん剤投与 9日目


日中は元気に過ごしていました。
なぜか日中から来ていた嫁さんには冷たい態度。

それは怒られるから。
本人は少し調子に乗っていて、看護師さんたちへの態度が悪く
それを叱られたため反抗しているようでした。

夕方、私が病院に到着した頃に夕食。
食欲はあるようで、ご飯とかぼちゃのサラダは食べていました。


夕食後は昨日と同じようにプレイルームでトランプ大会。
小学生に混じって私も真剣勝負していました。

散々盛り上がった後、8時に就寝のアナウンス。
病棟での放送は子供達の仕事。

ピンポーン
「消灯時間になりました。お部屋に戻って静かに過ごしましょう。おやすみなさい」
と子供達の元気な声が病棟内に響き渡ります。

これじゃ消灯できないよ。。。

部屋に戻って検温と血圧。
熱が37度9分でした。

副作用が始まったようです。

熱があったので少し不安になったのか
私がいつもの時間で帰ろうとすると
「パパ、もう少しいて」
「明日は何時に来る?」
と聞いてくる状況。

少し弱々しい姿は見ているだけで辛いです。



帰宅後、夫婦で話し合い。
今回の病気がなぜ三女に
どのくらいの確率かということを計算してみました。

全国の小学生が約654万人
小児ガンの症例のうち、胚細胞腫瘍が118例
卵黄嚢腫瘍の症例は登録されていないので
三女の病気本当に稀です。

確率論的に言うと
約0.000018%より低いくらい。

担当医からは年間20くらいと聞いているので
その場合は0.000003%

天文学的な数値です。

病気になった理由は分かりませんが
我が家に訪れた試練だとすると
きっと何か理由があるのかもしれません。

諦めないで闘う力、家族で乗り越えるチャンスが与えられたと
捉えるしかないですね。

平穏無事に過ごす事って本当に難しいです。



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