入院3日目 そして告知 | 三女は卵黄嚢ガン闘病~寛解。パパは走り続け、親父の背中を見せる!

三女は卵黄嚢ガン闘病~寛解。パパは走り続け、親父の背中を見せる!

フライフィッシングとウルトラマラソンにハマったパパの娘が、2015年11月に卵黄嚢腫瘍と診断、闘病を経て2016年4月に寛解。ガンと闘いながら走り続ける我が家の話。少しでもどなたかのお役に立てれば。

入院3日目 11月30日(月) 一生忘れらない日です。

この日は検査のための手術日
入院直後の手術なので、本来であれば摘出手術かと思っていました。
しかし、予想外に腫瘍が大きく、摘出するためには
お腹を大きく開かなければならないし悪性か良性かも不明。

不安なまま、朝8時前に病院につきました。

ナースステーションは朝の忙しい時間帯。
回診のドクターも数名いらっしゃいました。

本人の病室に到着するとすぐに担当医と何名かのドクターが見に来ました。

手術当日のため、水分は少々。もちろん絶食。
本人は熱はあるものの多少は元気になっていて、手術着にも着替え車いすに座っていました。

まずはMRIの検査で腫瘍の位置等を確認する予定。
12時過ぎまで待たされている間、全身麻酔等の同意書にサインします。

12時半過ぎに呼ばれ、検査室へ。
お腹の痛みもあるため、ストレッチャーで検査に行きました。
1時間程度とのことでしたが戻ってきたのは14時過ぎ。

結局、腫瘍による腹痛で30分動かないことが我慢できず
(仰向けになると腫瘍で他の臓器が圧迫されて痛みがあったよう)
麻酔で眠らされての検査となりました。
しかし、寝ているはずなのに痛くて動いてしまいMRIは取れなかったようです。

それでも手術は実施するとのことで、全身麻酔に関して麻酔医から事前説明がありました。
麻酔医が持っていたアセスメントシートには「卵黄嚢腫瘍」の文字が。
悪性かもしれない、と覚悟しました。

15時前には執刀する小児外科のドクターから説明がありました。
さすがドクター、説明は上手です。

結論から説明がありました。
診断名は右卵巣原発の「卵黄嚢腫瘍(がん)」、しかもほぼ確実に悪性だと。
AFP(アルファ・フェトプロテイン)という腫瘍マーカーの結果が
なんと、145510もあるとのこと。(通常は10以下)

信じられません。
一番聞きたくなかった診断。嫁さんは泣いていて言葉になりませんでした。
私はあまりの衝撃で、何と答えたのかも覚えていません。

ドクターから本日の手術は
悪性かを判断するために、腫瘍の一部を摘出して生検する。
手術後、再度MRI等の検査をしたうえで化学療法(抗がん剤)を行うこと。
とても長期の療養になること。
そして、この後すぐに手術を行うこと
の説明がありました。
とにかく無事に終わらせていただくようお願いしました。

説明を受けた部屋で、夫婦でたくさん泣きました。声をあげて泣きました。
悪い夢であってほしい、目が覚めていつもの生活に戻ってほしいと思いました。

何も受け入れられないまま、手術に向かう娘のところへ行きました。
何も知らない状況でしたが、これから手術に行く娘に付き添い
15時20分ころ手術室へ。

手術時間は全身麻酔を含め、3時間程度。

待っている間は何をしていたのか覚えていません。
たしか母への連絡をしたのと、院内をウロウロしていたのかと思います。

ちょうど3時間が経過し、18時20分に呼ばれました。
執刀医から手術の状況について説明を受けました。

腫瘍が腫れていてとても大きかったこと。
一部を切り取ったけれど、出血量も多く(4~500ml)大変だったと。
出血した血を抜くためドレーンが入っていること。
幸いにも反対側の卵巣はきれいで問題なかったこと。

そしてドクターからは
「このガンは抗がん剤による治療効果が高い。不幸中の幸いだったと」
「十分に闘えるから、安心してください」
と説明がありました。

手術室から戻った娘の顔を見て力が抜けました。
涙が出ました。

病室に戻るころには、うっすらと麻酔も覚めてきて
カテーテルへの違和感に大騒ぎ。「トイレに行く!オシッコしたい」と。
少し笑ってしまったら
「パパ嫌い、帰れ!」と大声で叫ぶ始末。

消灯時間も近かったため、あとは看護師さんに任せ帰宅しました。


本当に長い一日でした。
ガンの告知、そして手術。
衝撃的なことが多すぎて、まったく現実感がない一日。

夜は夫婦で再びたくさん話し、たくさん泣きました。
疲れているはずなのに、ほとんど眠れませんでした。

あまりにも辛く一生忘れられない日となりました。




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