入院2日目 | 三女は卵黄嚢ガン闘病~寛解。パパは走り続け、親父の背中を見せる!

三女は卵黄嚢ガン闘病~寛解。パパは走り続け、親父の背中を見せる!

フライフィッシングとウルトラマラソンにハマったパパの娘が、2015年11月に卵黄嚢腫瘍と診断、闘病を経て2016年4月に寛解。ガンと闘いながら走り続ける我が家の話。少しでもどなたかのお役に立てれば。

入院した日の夜、夫婦でたくさん泣きました。

ネットを駆使して三女のお腹にある腫瘍を調べると
卵黄嚢腫瘍には「良性」「悪性」があること。
多くは「悪性」であること。
転移していることも多く
成人では予後が悪いこと。
小児では予後が悪くないこと。

様々な情報を見つけました。
でも、小児の情報は少なく不安は募るばかりです。

とにかくたくさん話しました。
たくさん泣きました。

入院時に診察してくれたドクターが
「腫瘍マーカー」という言葉を使って指示していたのは
聞き逃しませんでした。
腫瘍マーカーというと「がん=悪性」ということになります。
それもあり、土曜日の夜は不安でした。

入院2日目は日曜日だったため、特に検査もなし。
担当医からは熱もあるし、とにかくゆっくりしていて欲しいとのこと。
土曜日から39度近い熱があり
本人も少し辛そうです。

上の娘、同居する母を連れてお見舞いに行きましたが
病院では騒ぐわけにもいかず
すぐに連れて帰ってきました。

夕方、小児外科のドクターから説明があり
悪性か良性かを判断するために
腫瘍の一部を摘出し、病理検査をするとのこと。
翌月曜日に手術となりました。

ドクターからは悪性の可能性が高いとの説明。

恐れていたことでしたが
前の晩にネットで調べていたことだったので
少しは冷静だったと思います。

27キロしかない小さい体で生まれて初めての手術。
不安な様子です。

しかも、お腹の腫瘍が痛くベッドで横になるのも辛いみたい。
点滴を入れており、トイレに行くのも大変ですが
ベッドから車椅子への移乗も痛くて辛いため
日中はほとんど車椅子に乗っていました。
腫瘍による膀胱圧迫でかなりの頻尿で
1時間に4回くらいのトイレです。

夜は妻が帰宅し、消灯まで私が付き添っていましたが
やはり父親ではトイレも付き添えないし
不安も強いようで、ナースコールを握りしめ車椅子のまま
寝てしまいました。

なんとかギリギリの時間まで粘り
22時前にベッドに移動できたので、私も帰宅しました。


帰宅後は夫婦でこれまでのことを振り返りました。

腫瘍の予兆があったのか
1週間前の水族館に行った時はどうだったのか。
1か月前の運動会はどうだったのか。

いつからこんな状態になったのかを考えましたが
わかりません。

結果がどうなるのか
非常に不安な夜でした。


少し気を紛らわせようといつものコースを6キロ走ってみました。
でも一人になると勝手に涙が出てしまい
走ることができません。

落ち着くまで走ることは控えようと思いました。



にほんブログ村