小江戸大江戸203キロ完踏記振り返り | 三女は卵黄嚢ガン闘病~寛解。パパは走り続け、親父の背中を見せる!

三女は卵黄嚢ガン闘病~寛解。パパは走り続け、親父の背中を見せる!

フライフィッシングとウルトラマラソンにハマったパパの娘が、2015年11月に卵黄嚢腫瘍と診断、闘病を経て2016年4月に寛解。ガンと闘いながら走り続ける我が家の話。少しでもどなたかのお役に立てれば。

これでラストです。

小江戸大江戸は初の200キロ越えでした。
これまで112キロが最長でしたので
まさに未知の領域

完踏どころか
どこまで行けるのか全く自信はありませんでした。

救われたのは、昨年大江戸を走っていたこと。
小江戸91キロが終わってからの大江戸は
気持ち的に楽でしたね。
一度走っていたのでコースも覚えていましたし。


スタート直後は職場の先輩に付いて行きました。
先輩曰く、いかに疲れを感じないかとのこと。
小江戸のうちに足の疲れを残さない走り方が重要とのことでした。
何とか騙しながら走ります。
それでも70キロ地点辺りからは
左の張脛靭帯が軋み出し
ヤバいと思いました。

何とか川越まで一緒に走ってくれた方がいたので
救われました。

大江戸に入ってからは足も動かない中で
嫁との電話
寝ることを進言してくれた仲間
エイドのスタッフ
に救われ

最後には35キロ一緒だったKさんと
励まし合いながらのゴールでした。


とにかく終わってみて言えることは

1人では完走できないということ。
誰かの支えがあって初めて完走できました。
エイドのスタッフだったり
一緒に走った仲間だったり
家族だったり。

自分の足を使って完走したけど
その足は自分一人のものではありませんでした。

それを痛感した203キロでした。



終わってからすでに9日間が経過しましたが
私の足には疲労骨折か腱鞘炎の症状が残り
横浜マラソンの完走が危ぶまれています。

さすがに誰かの足と替えて欲しい。

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終わり