ベストヒットリレー ここを辿って、“秘密のたからばこ”を知り尽くしちゃいましょう秘密のたからばこを読んだ皆様が、それぞれの想いを綴ったブログへの入り口
⇒入り口はこちら私は中学1年の時に、フォークな視線を持つ先生と衝突
して以来、先生の話を聞かなくなりました。
教師を信じられなくなっていたのですね(^^;
で、当然成績も急降下・・・それを心配して、親は学習塾
に入れれば良くなると思ったようで、近くの塾に通わされ
ることになりました。その塾に、中学の1年から2年の6
月までの間通っていたのですが・・・
でも、問題の核が“教師に対する不信”からだったので、
塾へ行っても成績が良くなることは無かった。
塾の先生は、成績を上げるのに必死だったから、何故私の
成績が伸びないのか不思議がって家庭訪問してくれたりし
ているときに、親が私の先天性の皮膚の難病について話し
たんだ。
でもその塾の先生たちは、私の事をまるで腫れ物を触るよ
うな扱いで、科目のこと以外の話は一切してくれなかった。
ここにも自分の居場所はない・・・そう感じた。
中学2年・・・フォークの視線の先生の担任から解放され
良かったと思いきや、2年の担任は男で暴力教師&セクハ
ラ野郎・・・女子のブルマーの尻を触って生徒を泣かす“
とんでも無いやつだった。
今だったら当然セクハラで、レッドカードのお墨付きは免
れない・・・でも昔は・・・違った(^^;
私の皮膚の疾患についても折について触れて、風呂へ入っ
てよく洗っていないからだとか平気でのたまうような人間
だった。
居眠りをしている生徒の頭にチョークで“ゴン”とつくそ
んなことをして注意をしている担任なのですが、私が連日
の夜更かしでうつらうつらしている時に、“ゴン”と来た
のはいいが、私の頭が石頭だったみたいでチョークが“パ
キャッと粉々に割れてしまった。
私はドリフターズのコントみたいにチョークの破片と粉だ
らけになったのだが・・・彼の言った言葉を聞いて耳を疑
った。
「あっ、さわっちゃった・・・きたねぇ!!」
まるで悪がきのようである(^^;
それを聞いた私は、どうせこんなやつに何を言っても無駄
だからと思い、無言で立ち上がりトイレへ行って頭を払っ
た。
休み時間に、机が傍にある女子が
「あんなやつの言うこと、気にすることはないよ!!」と
慰めてくれたのだが、この一件以来教師のことを全く信頼
しなくなった。
以前にも増して成績は坂を転がり落ちるように落ち、学年
で下から数えて3番目という状態になった。
教職員の間では“あいつはダメだ!!”そんなレッテルが
張られていたのは分かっていた・・・遠目に私の方を見て
ひそひそ話・・・もううんざりだ!!
塾もとうとうさじを投げて、“うちでは無理です”と言っ
て来た。
この頃からだったろうか、たばこを始めたり、頻繁に利根
川の流れが急なところに行っては入水をしようと思ったの
は・・・。
生きていても価値はない・・・その気持ちで心が塗りつぶ
された。
中2の梅雨時に、やめた塾の塾長が私に別の塾を紹介して
くれると親を通して言ってきた。
そこの塾は隣の学区で、私の住んでいる学区からは一人も
行っていないということと、とにかく怖い先生でスパルタ
で授業中竹刀を振り回して机をガンガン叩く・・・そんな
先生。
私は先生嫌いで擦れていたこともあり、どんな先生が来て
も一緒!行っても意味はない・・・といったのだが、紹介
してくれた塾長が一言・・・
“お前怖いんだろう(にやり)!?”でうまく乗せられて
しまった格好だ。
初日、塾に行ってその先生にお会いしたのだが、“うちは
スパルタで有名な塾だからついて来れないのであれば最初
から来ない方がいい”といわれ逆に発奮した。
一ヶ月ほど通ったときのことだったか、学区が違うためな
かなか塾友となじめない私を見て、先生は塾が無い日に先
生のご自宅に親と一緒に来い・・・そういった。
先生のご自宅に向かうと、開口一番に“何故学友と仲良く
出来ないのか”と聞いてきた。
このままだと、お前はここにもいられなくなってしまう・・・
そう言われた私は、観念して自分が皮膚のことでいじめら
れたこと、パワハラを受けて教師を全く信用していないこ
とを白状した。
それを聞いた親はただおろおろするばかり・・・初めて聞
くこともあったろう・・・親に話しても否定されたことも
あった・・・それ以上に親を信じてなかったのかも知れな
い。
ある意味では、親に対する反逆の意味もあったのかも知れ
ない・・・“お前たちの息子は今こんななんだ”
“先生、聞いたら笑ってくれよ・・・”そう心の中で思い
つつ、心のうちを吐露した。
先生はおもむろに私の前に座り“いいか、俺の目をじっと
見ろ”とだけ言って私の目を覗き込んだ。
なんだかとても不思議な感じがした・・・
先生は何かを探すように私の目を覗き込んでいる・・・
心の中で、“そんなに覗き込んでも何もないよ”と思いつつ
も、長いよな・・・この先生、何を見ているのだろう・・・
眼科の先生ですら、こんなにじろじろ見んかった・・・。
そのうち、まるでにらめっこをしているようで、噴出しそう
になってしまったが、かろうじて耐えた。
その間2・3分くらいだったろうか、先生の表情がほころび、
お母さん、こいつは大丈夫だ!!俺が面倒を見る。そう一言
親に言った。
塾が21:00に終わるからそれから補修をここでやるからな!
なあに、補修料はいらないよ!お前を酒の肴にするから・・・
と言ってこちらが何の返事も出来ないうちに決まってしまった。
そして私に一言・・・“くやしいよな、お前の悔しさはよく分
かった・・・絶対に見返してやろうな!!
私の目を見てそう言ってくれた。
塾が終わると、先生の自宅で23:30まで補修・・・先生はビール
片手に顔を赤くしながらガリ版で刷った問題を用意しては私に
特訓してくれた。本当に飲んでいやがる・・・と少しでもすき
を見せると竹刀が尻に飛んでくる。
特訓の間でも学校でどういうことがあったかを聞いてくれて、
私は徐々にこの先生にだけは心を開くようになった。
そのうちにこの先生には何でも話しが出来るようになり、特訓
の成果で高校入試問題がすらすら解けるようになっていった。
でも、学校の中間・期末テストの成績は相変わらずダメだった(笑)
ここの塾は高校入試に特化した塾だったので、私の真価が発揮さ
れるのは中学3年になってからだった。
8月に入って、確かその頃だったか・・・あの川沿いの空き家
での体験をして塾に転がり込んで、そのことを皆に話したのは・・・。
塾友は信じてくれなかったが、先生は信じてくれた。
11月に先生の方から“もう特訓しなくて大丈夫だ”塾と自宅
学習に切り替えるからなと言ってくださり、学友と全く同じス
ケジュールとなった。学区は違うとはいえ半年も同じ教室で学
ぶことで、皆とドンドン仲良くなったいった。
3年に入り塾の先生と私は約束した。
県下一の高校に入ることを・・・そのため努力したよ♪
先生はあきらめずに挑戦することの大事さ、それに向けて努力
する直向さを教えてくれたのだ。
成績はドンドン上がって、最後の模試には学年で上から3番目
だったのだから。
でもね・・・中学の先生は、私の事を信じてくれなかった。
県下一の高校は無理かも知れないから、二番目のところを勧め
られた。
私は塾の先生との約束があるため、絶対に譲らなかった。
結果としては、滑り止めの私学も2つ受けて合格、塾の先生は
大丈夫と太鼓判を押してくれたのだが、父親が信じたのは別の
人の言葉・・・
当時、父は市の教育委員会に身を置いていたので、受験に失敗
するリスクのことをことさら強調し、“2番目にしろ”と言っ
て譲らなかった。
話を聞くと、私がした約束や私の気持ち・可能性よりも、自分
の体裁を気にしての発言に終始する・・・
いつもこの人はこうだ・・・最低だ。
私は塾の先生と男と男の約束をしたから絶対にやるといったの
だが、父親が信じたのは腐れ中学の人間味のないバカ教師共の
言葉であった。
2番目を受けないのであれば勘当だ!出ていけ!!一切面倒みん!!
そういわれて、私は母親に相談したのだが曲げることが出来なか
った。
塾の先生に相談して約束を守りたいと言ったのだが、結局父親の
理解は得られず塾の先生との約束は守れなかった・・・。
2番目の高校には楽勝で合格、試験開始後10分で問題を解いて、
あとの40分は寝ていた(笑)
塾の先生に合格したことを報告したら喜んでくれたのだが・・・
目がとても残念がっていた・・・多分心で泣いていたと思う。
私も心で泣いていた・・・。先生との約束を果たせなかったことに
・・・そしてそのことは私の心の中でトラウマになった。
そして・・・高校に上がったその年の秋・・・塾の先生はこの世を
去ったんだ。肝臓がんだった・・・
私は、約束を守れなかったことを今でも悔やんでいる・・・だから
もう2度と悔やむような生き方はしたくない・・・そう思えるよう
になった。
この先生との出会いがなければ、今の私は存在していない。
あきらめずに挑戦することの大事さ、それに向けて努力する直向さ
を教えてくれた私の大事な恩師・・・庭○先生
ありがとうございましたm(_ _)m