フライバーを哲学的に考える | FLYBAR『フライバー 』公式ブログ

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フライバーはご存知『ホッピング』の21世紀進化モデルです。
ホッピングは『ポゴスティック』がオリジナルです。そのポゴスティックとフライバーを日本国内に普及させるためのブログです。

 
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高く跳びたいというのは身体的な欲望なのか、それとも精神的な欲望なのか?
 何もフライバーを哲学的になど考える必要はないのだけれど、考えてしまいたくなるのがフライバーなのだ。
 何度も書いているがフライバーの原形はポゴスティックで、日本ではホッピングと呼ばれていた。現在でもスポーツ店やおもちゃ屋に行くと見かける子供の玩具である。
 元祖はどうもドイツあたりで、世界的に広げたのがアメリカらしい。そして日本では1956年に一大ホッピングブームを巻き起こした。


 その1956年というのは、現在東京都知事で再選を果たした石原慎太郎氏が『太陽の季節』でその当時としては最年少で芥川賞を受賞した年である。
 『太陽の季節』は前年の1955年、第一回『文学界新人賞』を受賞し翌年芥川賞を受賞して世は『太陽族』ブームとなった。単行本としては1956年の3月15日に初版本が出て一月も経たない4月12日には8刷目が出されている。そしてその単行本の価格は250円でどういうわけか地方売価というものがあって260円となっている。結局25万部を売り尽くしたといわれている。


 ホッピングは以前も書いたが、450円から950円の価格で当時売られたようだ。その当時のメディアの主流といえば、ラジオと新聞である。雑誌も文芸誌を中心に増えてきていて、やはり紙媒体全盛である。
 『太陽の季節』が文学というまさに紙媒体の出来事だから、その紙媒体で売れていたというのはわかる。しかしホッピングはどのように普及していったのだろうか。


 全然哲学的でも何でもないじゃないか、とおっしゃるだろう。まあ、哲学的自体が何だかわからない言葉なのだけど、ここでは形而上学的という意味で使っている。もっと、わからない?話を続けよう。

 ポゴスティックもそうだが、ホッピングも実に謎の多い商品である。しかしこの『謎』は解明できる謎と解明できない謎を含んでいる。そして決して解明できない、言葉を換えて言えば、決して理性では理解し得ない『謎』は哲学的に考えるしかないのだ。もちろん哲学的に考えたからわかるわけではない。


 それでは、その解明できない『謎』とは何か。
 『人は何故高く跳びたいのか』
 最初にも書いたが、その高く跳びたいという欲求が身体的なものか精神的なものかは別にしても人間が高く跳びたいという欲求も充たしてくれると感じたからこそ、ホッピングはその当時としては結構いい値段のものであってもブームを巻き起こしたのである。新聞や雑誌に広告が載ったのかもしれない。しかし、ヒット商品には必ず必然性がある。その必然性とは人間の欲求を充たすものという意味である。