『ホッピング』は実は美容と健康のための器具として日本に上陸した、と昨日書いた。しかし本当のところはよくわからない。1956年当時、その美容と健康に関心のある人がどれくらいいたのか想像もつかないのだ。
今から50年前にメガ・ヒットを飛ばした『ホッピング』は結果的には子供のおもちゃだった。現代のようにモノが溢れている時代ではない。遊びといえば、めんこ、ビー球、べいゴマ、缶ケリと金の掛からないモノばかりである。
そんな中にあって、『ホッピング』はたぶん決して安くない『遊び道具』だったと思われる。
いったいどこのどなたが、この『ホッピング』を見つけ出して売ることを考えたのだろうか。
ひとつ考えられるのは、PX(在日米軍基地内)という国内の米軍基地やその居住区内にある店やから外、つまり国内に持ち込まれたのではないか。
しかし最初はアメリカの『ポゴスティック』だったのだろうが、その当時アメリカから大量に輸入することなどできるはずがない。朝鮮戦争で景気がよくなったとはいえ、10年前は無条件降伏して焼け野原だった国である。対ドルのレートも360円の固定相場だから、50セントのコカコーラ缶は180円もするのだ。
となると、日本で作られたということになる。何万、いや何十万、何百万という数の『ホッピング』は誰が、どこの会社が作ったのだろうか。
とまあ、50年前を想像するだけでまるでミステリーの世界のように疑問が湧いてくる。
その辺はおいおい調べるとして、『ホッピング』の21世紀型進化形の『フライバー』はどのような進化を遂げたのか。そしてそれは本当に美容と健康にいいのだろうか。
今までの『ホッピング』のホップする原理は鉄製のコイルである。コイルが収縮してその反動でホップする。そのコイルの固さいかんでその跳躍力も変わってくる。だから比較的体重の軽い子供用なら、それほどのコイルでなくても十分にホップさせることができた。しかしそれをかなり体重のある大人となると話は違ってくる。そのコイルの性能をアップしなければならない。その当時の技術としては限界だったに違いない。
確かに現代では、コイルやスプリングの技術も進んできているから、オーソドックスなコイル駆動の『ホッピング』でも大人の体重に耐えられるものもでてきた。しかし、その跳躍力に関してはコイル式のものには限界がある。その限界とは、跳躍力ではなく、跳躍した後に地面に戻る時の反動である。
ただ一回こっきりの跳躍力を試すのであれば、それに適したコイルはできるかもしれない。しかしその跳躍をするのは人間である。跳んだものは必ず戻ってくる。そして『ホッピング』の楽しさは一回の跳躍ではなく、ピョンピョン跳ぶ、つまり繰り返し跳ぶことである。
スピードの出せる車に必要なのは、スピードを出すエンジンと同時にそのスピードを制御するためのブレイキである。200km/h出せる車に必要なのは、200km/hから安全に止まれるブレイキなのだ。
つまりコイル式『ホッピング』の限界は跳躍から戻った時の衝撃の限界だったのだ。
高く跳びたい、しかし高く跳べばそれだけ戻りの時の衝撃が大きくなる。おのずと高くは跳べない。
その高く跳んでも、戻りの衝撃を『トランポリン』のように押さえる技術が登場した。MIT出身の発明家ブルース・ミドルトンもまた、高く跳びたかった一人である。
