友達がいない。
友達だと勝手に思ってるのは中学の時の友達だけで、それらとももう10年くらい会ってない。年賀状のやり取りもほぼない。彼らは既に当然のように家庭があり職場があり地域のコミュニティに含まれているから、昔馴染みとは言ってもそう簡単には会えない。
十年くらい前にハロヲタだった時の友達とも連絡はとってない。現在、Twitterで繋がってる数人は実際に会ってもいないから、友達に入れるのはおこがましい。つまり、友達はいない。
高校は大嫌いで不登校だった。だから、その時代の友達もいない。大学に行くつもりだったから、出席日数ギリギリで卒業したが、そんな奴に受かる大学もないので浪人した。浪人中に病気をして、結局大学には行かなかった。そして、その後も病気の関係で定職に就かなかったから、同僚というのもいない。病気のせいで臆病になり、外に出なかったので、友達なんて作りようがなかった。仮に出来たとしても、ハロヲタの友達のように、バッサリと何もかも切り捨てる傾向があるので、友達なんて出来るわけがないのである。
友達がいないから社会性がない。
異論を認めたくない。だから、コメント欄も付けない。このままじゃダメだとさすがに思うが、その度に、谷崎潤一郎の歌を思い出す。
われというひとのこころはわれひとりほかにはだれもしることはなし
あるいは、井伏鱒二訳の『勧酒』(唐詩)。
コノ盃ヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミ注ガセテオクレ
花ニ嵐ノタトエモアルゾ
サヨナラダケガ人生ダ
谷崎潤一郎はともかく、井伏鱒二なんて全然好きじゃないのに、この詩だけは忘れ難い。人に、文学とは何かと問われたら、この詩を差し出す。これがわからないなら、俺とは文学の話はできない。
前の彼女と付き合ってて、ひとつだけ大人になったと思ったことがある。昔は、好きな人(性別問わず)とは、100%近く同じ意見じゃないといけないと思っていた。しかも、こちらが主導権を持つ、言い換えれば、マウントした状態でなければならなかった。前の彼女と付き合ってるうちに、まぁ30%重なればいいか、と思うようになった。しかも、私の方が尻に敷かれていた。
あれからけっこうな年月が流れ、私はどうなっているのか?