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ひよこのじたばた

メカ好きが、
ゆるゆるブログやってます。

年末ですね。
ここ数年で時がたつのがものすごく速く感じるUP主です。

昔は暑い夏が終わって、涼しい秋を感じて肌寒くなったら町がクリスマスの雰囲気を出して
大晦日→正月の流れだったんですけどねぇ。

今はそんな気分を感じることなく時間が過ぎていきます(笑)


学生のような行事が減って、同じ日が多くなるからですかね?
終業式もないし。

あれですよね。そう感じるのも学生の特権長期休暇がなくなったからですよね。
寂しいもんです(笑)


加えて私事ですが、大型自動二輪の教習を始めました。
今週末には卒業検定を受けて免許貰いに行きます!!


またひとつ夏が過ぎ、年が明ける。

ついに求人が出される。
だがここで衝撃の事実発覚!!

募集要綱の応募資格に2013年の4月~2016年3月卒業の者との表記が・・・・
私の卒業年月は13年の3月・・・・・

あきらめてはいけない、、、せめて見学だけでも申し込もう。


なんと意外とあっさりとOKをもらってしまった!!!
受験可能とのことである。
ただし受験に際して職歴にブランクがあるのがリスクとくぎを刺された。

なに、ダメでもともと。
やってやろうじゃないか、適正検査の対策だってしてきた。
いざ!!!

四月某日
一次試験前日は万全を期すためにビジネスホテルに一泊。
十分睡眠をとることができた。

そして、願掛けのアリナミン(笑)
↑YS-11の試験ではお世話になった。

一次試験は丸一日のスケジュールだ。

3年前の試験と比べて意外と緊張していない。
適性試験も肩の力を抜いてできた。
筆記の一般常識もそこそこクリア、
専門知識の試験も懐かしい問題ばかりだ、いける。

昼休憩をはさむ、周りは初々しい学生たちが
緊張しつつも疲れた顔をしている。

それもそのはず、この試験のためにどれだけの苦労があることか、
学校のしがらみはどこも同じようだ。

まずは、学校に入学してからそもそも国家試験が受験できる
養成課程への選抜試験がある、その後もエアラインを目指すものには
固定翼の一等航空運航整備士、二等航空整備士、二等航空運航整備士
回転翼の二等航空整備士と順にランク付けのあるクラスに振り分けられる、

もちろん選抜から漏れる者もいる。その後も幾度もの技量チェックをパスして
クラス内で順位が付けられ、さらに学校の推薦を受けて初めて
受験がかなうのだ。

そこまでしても内定は決まるわけではない。
もし万が一大手に受からなければ他の独立系エアラインか、
かつて私が勤めていた中小企業を受けるしかなくなってしまう。

他の大学生とは違い職種も限られているうえ企業も少ないときている。
それはみんな真剣だ。

そんな心配もよそに午後の面接が始まる。

面接官3人と受験者1人の形式だ
圧迫面接は覚悟している。
当たって砕けろ、とにかく熱意を伝えるのみ
ひたすら、しゃべり続けた。

定番や形式ばった質問は一切なし、
以前の会社ではどんな仕事をしていたか、
仕事を辞めた理由、退職してから今まで何をしていたか
ほぼほぼ想定していた質問ばかりだった。

長い一日が終わり、帰りの電車ではひどい頭痛がした。
おそらく酸欠だろう。
こんなにしゃべったのは生まれて初めてだ。

後日、合格の一報が。

間違いない、一次試験をパスした。
書類を手に二次試験の面接へ

相変わらず学生たちは緊張の面持ち、
自分も緊張しているはずだが、意外と冷静だ。

これが最後かもしれないと、せめて一般人の入れない
会社深くの空気を吸って記念にしようなどと終始観光気分であったのは
たしかである。

面接官がなぜか4人しかも順番が一番最後という
なぞ采配以外は前回と同じであった。

以外にも1次面接の時と同じ面接官の方が妙に
やさしく面接をリードしてくれたことが印象的だった。
まさか気に入ってもらえた???


数週間後、アルバイト中に携帯が鳴った。

合格の知らせが届いた。

夢にまで見た瞬間である。

ここまで何年かかったことか、、、
とにかく店の倉庫で迷惑な雄たけびを上げた。

2015年6月の半ば、人生の起点に到達。

とにかくアルバイトをしなければ、
そう思い履歴書を手に取るがなかなか筆が進まない。

証明写真を撮るのに1週間。
用紙を丸々書き終えるのに2週間。

結局面接を受けたのは10月の最終週
前途多難なアルバイトが始まった。
が、しかしやってみるもんだ。


バイト先は地元中堅スーパーの品だし。
高校時代に一時期やっていたものだから
要領は何となくわかる。

だが、近場は嫌なのであえて離れたところにしてみる。
これが意外と正解だったのかもしれない。
もとはと言えば
知り合いのお母さんに声をかけられるのがいやだから場所を離した。

家に引きこもっているのとは違い、いろいろな人と接する。
そして、バイト先で巡り合った人もとてもよかったと思う。
当時2つ上のH先輩に出会っていなかったら
いまの僕はなかっただろう。

温厚でやさしく男前でちょっと軽い人、
いままでの自分の感覚で行くとややチャラいひと(笑)
でもコミュ力は半端なかった、それも少しは盗めたかなと思う。

そんな中史上最悪の年が明け、新年を迎えた。

高校時代の同窓に新しい事業をしてみないかと誘われ、
会社の立ち上げを手伝ったりちまちまといろんなイベントがあった。
いま彼は会社の正式な法人化を目指して活動をしている真っ最中だそうだ。
客足もそこそこあるらしい。

どれも初めての経験でいまにしてみると結構楽しかった。

そうこうしているうちに
それが気分のリフレッシュにつながったのかもしれない。
改めて自分の気持ちに正直になることができた。

もう一度あの第一志望の会社を受験したい。

悔しさと期待の混じった気持ち悪い感覚が胃袋の上にずっと留まったような気持ちが湧いてきた。
過去の受験失敗の記憶とあこがれの気持ちが渦巻いてどうにも気分が悪かった。

それもそのはず2月ごろには求人が出されていて
何も対策をしていない自分は怖気づいてその年の試験をパスしてしまったのだから。


経営破たんが起きてから3年間求人が凍結されていた。
そのあおりで求人募集では他の企業とは違い卒業から3年の猶予がつけられていた。
まだ、自分には時間がある。

そう自分に言い聞かせ、次年度の受験に向け勉強を始めたのでした。



もろもろの荷造りを終えて8月3日。

東京行きの夜行バスまで時間がある、最後の晩餐は
岡山市内のしゃれた洋食屋でシャンパンを開けた。

なんだこんなにうまい店があったなんて、
もう少し肩の力を抜いて仕事をするべきだった。

そうすればもう少し仕事も続いたのだろうか、
毎週末きちっとリフレッシュできていればなどと
無駄なタラレバを考えながら大粒の帆立をほおばる。

うまい。



早朝には新宿駅に到着。
初めての長距離バスは最悪の乗り心地だった。

体がだるいのでさっさと実家で床についた。

ひどい数週間だった。
ウイルス性の胃腸炎で胃が波を打っていた

原因はおそらく「鳥」だろう。
8月2日に同社で訓練をしていた操縦科の後輩と
地鶏刺しで一杯やっていたのだが、
どうもそれが大当たりしたらしい。

体、身の回りそして精神的な落ち着きを得たのは
10月ごろ、貯金も尽きたのでとにかくバイトで食い継ぐとする。

ここからがやっと休養のはじまりでした。
専門学校を無事に卒業し、休みもつかの間。

岡山に部屋を借り引っ越しも済ませた。
手ぶらのなんてことない引っ越し。

部屋の鍵を貰い、日用品を現地調達。

まずは自転車、そして布団、カーテン、ガスコンロ
数日もすれば洗濯機と冷蔵庫が届く。

と、こんな感じで誰しもが一度は体験する一人暮らしのはじまり。


自由気ままな一人暮らしだが、いざ仕事をしてみるとまぁ忙しい(笑)

自分自身仕事の要領はいいほうだと思うのだがなかなかに終わらない。

もともといろいろな事に自信のあった人間だがこうもミスが多いと
自信をなくす。

仕事は教わるものではなく盗む者とはいうが、ただの
指導放棄ではないか。

ろくに手順も教えず注意されて初めて聞く事ばかり。


それもそのはず、その当時その部署での最長経験者が
9か月と驚きの時間である。

入れ替わりの激しい部署なのだろう、引き継ぎもロクにされていないのが
よくわかる。

そんな中、仕事は期限付きで山積み、夢の中でまで仕事をする始末。

定時で帰れたのはたった2日のみ。

ゴールデンウィークにも彼女に会うことはできず、
そのまま別れることに。

ロクにlineの返事もできない、会えない。
「付き合ってるのに会えないとか付き合ってる意味あるん?」

そう言われて仕事でボロボロの自分には返事を返すことさえも
億劫でした。

望まぬ仕事を続けいつしか、4階のベランダから地面を見つめ
どうしたら仕事を休めるかと考えてしまうようになり
ふと、我に返った。


自分は何をしているのだろう?



窓の外を見れば同僚がジェット機にかじりついている。
一方私はクーラーの利いた部屋で綺麗な服と綺麗な手で
パソコンをたたいている。

技術管理の仕事も1歳年下の女の子にとられたままだ。

屈辱だった。


3年間の勉強が無駄になった気がして
どうにも虚しかった。

上司に打診をしても営業の仕事で頑張ってほしいとのこと。


どんどん自分から飛行機が離れていく。
そんな気がしてならなかった。


私は同年7月一杯を持って退職を決意した。

今からちょうど2年前の事である。