桜ゴルフの佐川八重子社長のお別れの会に参列して参りました

令和7年10月16日、佐川社長はその壮麗なる人生に幕を下ろされました。
佐川社長とのご縁は、もう10年以上前になります。
当時、盛和塾で仲良くさせていただいていた先輩塾生が、産業人クラブ女性部会の例会でご講演されることになり、そこで初めて会の会長の佐川社長にお会いしました。
最初にお目にかかった印象は、「神々しいぐらいに愛に溢れた、観音様のような方だな」というものでした。
とても優しいお顔立ちで、相手のすべてを包み込むような、温かく柔らかな大きなオーラを感じました。
もしかして、棟方志功さんは、この方をモデルに観音様の版画を彫られたんじゃないのかなと思いもしました。
「良かったら、産業人クラブのお仲間にならない?」とお声を掛けていただき、「私のような者が」と気後れしながらも、お誘いいただくままに参加していたところ、私のどこを気に入っていただいたのか、その後も旅行やお食事、勉強会、発表会、講演会、社交ダンスの会などに呼んでいただき、いつしか私も❝佐川チルドレン❞の一員と呼ばれる身になっておりました。
「あなたの気遣いが好きなの。あなたの顔を見てお話しするとホッとするの」と、折に触れておっしゃっていただき、「それは私のセリフです!」と、何度申し上げたことでしょう。
一緒に銀座を歩いていると、「川端康成先生と、ここの喫茶店で何度もお茶を飲んだのよ」とか、びっくりするようなことをおっしゃったこともありました。
政界・財界、芸術界など、あらゆる世界に考えられないほど広く深い人脈をお持ちで、佐川社長への接し方を拝見して、皆さんがどれだけ佐川社長を大切に思われていらっしゃるかが分かる上に、なおかつ、私のような下々の者にもありえないほどの目配り心配りをして下さるので、天上人から平民まで、お会いした人は皆ファンになってしまわざるを得ない、そんな方でした。
コロナ禍で色々な会合がなくなり、お会いする機会が少なくなって寂しく思っていましたが、ある時、私が会社のことで悩んでいることが漏れ伝わると、すぐにお声をかけて下さり、経営者としての苦しい事情と心情を吐露したところ「私はあなたの一番の応援団よ」とおっしゃって、「私と思っていつも身に着けておきなさい」と、キラキラ光るネックレスをプレゼントして下さいました。
どんな時も励まし、勇気づけて下さり、私にとっては親以上に大きな、なくてはならない太陽のような存在となっていました。
昨年の夏にお電話をいただき「あなたに産業人クラブ女性部会の幹事をやっていただくことにしたわ」と。
「とんでもないことです。私のような者には到底務まりません。もっと適任の方を」と固辞したものの、「私は、あなたに助けて欲しいの」と言われて、「はい」とお答えするしかありませんでした。
8月、「日本を代表するとある要人とお食事するので、あなたも同席して」とお誘いいただき、楽しみにしておりましたが、直前に私がコロナに罹ってしまい、断念せざるを得ませんでした。
9月、三越劇場で小唄の会があり、せっかくお招きいただいたのですが、出張が入ってしまい、参加が叶いませんでした。
10月、産業人クラブ女性部会の会合があり、「あなたを新幹事としてご紹介しますからね」とおっしゃっていただきましたが、今度は佐川社長が風邪をひかれ、ご欠席となりました。
そして11月に、寺島実郎先生が北海道でご講演されることになり、佐川社長が11月2-3日の日程で応援のツアーを企画されました。
ご案内はいただきましたが、その日はちょうど私の娘が大阪に転勤するための引越しがあり、申し込みしなかったところ、またまたお電話で「あなたが一緒に行かないなんて、考えられない。絶対に来て。お嬢さんには何とか引越しの日程を変更をしていただいて」とものすごい剣幕でしたので、そんなにおっっしゃっていただけるのならと、娘に引っ越しを1週間ずらしてもらうことにしました。
秘書の方のお話では、あんなに世界中日本中を飛び回られていたのに、まさかの北海道には一度も行かれたことがなく、とても楽しみにされているとのことで、私も荷物持ちと案内係と盛り上げ役にと張り切っていたのに、直前に伝えられたのは、突然の訃報でした。
亡くなられたのは令和7年10月16日、風邪をひかれて大事を取って入院されていた病室で、亡くなる数日前に囲碁の先生にお越しいただいて何局か打たれたり、直前まで本当に普通に過ごされていたそうです。
10月28日は、新橋演舞場で恒例の『銀座くらま会』もあり、入念にお稽古を重ねられていたとお聞きしておりましたが、結局舞台に立つことはできないままとなってしまわれました。
日本を代表する「稀代の経営者」にして、長年女性経営者の支援をライフワークにされて、女性経営者の地位を今日まで引き上げたのは、まさに佐川社長のご功績に他なりません。
亡くなられて半年経った今も、街でトラックなどに「佐川」の文字を見つけると涙が出ます。
まだまだ教えていただきたいことがたくさんありました。
お別れの会の会場で、白いお着物で凛と映られた佐川社長のご尊顔を拝して、悲しみが新たになりましたが、ご生誕から晩年まで、人の何倍もの人生を生きられたような、彩り豊かな歴史を拝見して、私も残された足跡を辿りながら前に進まなければならないと奮い立ちました。
佐川社長、私の力は本当に微々たるものですが、社長が大切にされてきたことは、そのご遺志に沿うように受け継がさせていただきます。
天国でお会いした時に「やっぱりあなたにお願いして良かったわ」とおっしゃっていただけるように頑張ります。
どうかそれまで、見守っていて下さいね。
現実なのですね・・・
胡蝶蘭と桜に囲まれたお写真は、本当にお美しかった
みんなでご遺志は引き継ぎます
社長が寄贈された天使は、お顔がそっくり
昨年夏、一緒に映った写真は、こちらが最後となりました。
お写真を胸に、小樽の街を歩かせていただきましたよ
これまでに、本当に様々な世界を経験させていただきました。


思い出の中の社長は、いつも笑顔です



何度も読み返しました。ご人徳、ご人格、お気遣い、お人柄、ご人脈、探求心、柔軟性、何をとっても社長以上の方はいらっしゃらないと思います。もっともっと学ばせていただきたかったです。


お話しされている動画を見つけたら、またまた涙が出ました
生涯をかけて慈しんで来られました
