考えてみれば、私たちの受験の頃は未だ敗戦後10年ちょっとで、日本もヨチヨチ歩き、1ドル360円、戦争の賠償も未だ支払い続けていたときで、お米も統制(割り当て)で、移動証明が無いと買えない時代でした。就職して社会人になってもまだこれは続いていましたから。

 特急でも24時間位乗らないと東京に着けなかった、そんな時代に東京まで勉強に出せる家となると限られていたのかも。

 

 博多の人は、地下鉄駅から300m、大きな交差点に界隈一の大きなビルを持ち、他にも!

 

 臼杵のポン友はタクシーで名前を言っただけで、ああフンドーキンさんのって。

 フンドーキンと言うのは西日本(九州、四国、中国地方)では最大のお醬油会社で、そのNo.2をしていたのです。

 関東の方たちは馴染みのない名前かもですが、フンドーキンのブランドの他、全国展開のCO-OPの醤油は全て、ここで作られてるんです。行ってみると広大な屋敷に豪邸が。

 

宮崎の人の所も、駅のタクシーで、その会社の名前を言ったら、ああと、すぐ行ってくれました。

もう亡くなって奥様にお悔やみ申し上げて来ましたが。

 

フンドーキンの世界最大と言う木樽で

造られたお醤油、風味最高。