最初は20才のころ、つまり60年前、JRの高尾からは全く交通機関は無く、下から上まで歩いて登りました。途中行者の一群に出会いましたが、白装束、高下駄、法螺の貝を吹いて。このときはその後、相模湖まで歩きました。高校時代の部活の連中とでしたが、全く疲れた記憶がありません。

次は26才でしたが、従妹をさそって登りました。このときはリフトのようなものが出来ていて、足をぶらぶらさせながら。

その次は今から40数年前所属していたマミヤのカメラクラブで。このカメラクラブは中版カメラのクラブゆえ、かなりのマニア達のグループですが、作品は佳作に入った記憶があります。何しろ大きなカメラで、交換レンズも三脚も、カメラケースも大きく重く。でもそれほど大変だったとは思いませんでした。

今思えば30代でしたから。このときはケーブルカーが出来てました。

そして今度、学生時代から続くのまん会の連中で。全員80才以上。荷物はほとんど無く、ケーブルカーで登り、そこから薬王院〜奥の院〜頂上まで登り、参加の10名全員が往復出来ましたが、起伏が有り、少々大変に感じました。歩数は1万4千歩でしたけど。

恒例の打ち上げの一杯はうかい鳥山と言う店でしたが中々良くお勧めです。

 

     

    手前の薬王院                  その奥の奥の院