さて前回に続き、 私の名前 もとひろ は親、親戚、小~中学の同級生まではそのままもとひろ と呼ばれていましたが、高校は私達の中学からは私1人だったので誰も知らず、最初からイチダイになってしまいました。その後は大学も、前の会社も皆イチダイ、そして今もイチダイです。偉くなりませんでしたけれど。
なお、謄本にはモトヒロのカナが付いていました、でも大学提出用の謄本を取りに行ったら、役所の人が、カナが付いてるとめんどうだから取る方が良いと言うので、では、と取ってもらいました。
家でこれを話したら、勝手なことをしてと、父は少々お冠でしたが、そのままになり、以来イチダイでもモトヒロでも勝手たるべしとなりました。
なお、私の名前の発端となった祖父の親友 巌谷一六さんは、明治期の書家として第一人者。泊まって行った折り、書いて下さった額が今も実家に残っています。
この方のご子息が一寸法師などの童謡、童話作家で有名な巌谷小波さんです。
巌谷一六さんのご子息 巌谷小波さん。この写真は、分福茶釜で有名な舘林の茂林寺に由来と共にありましたので、写しておいたものです。