中学時代図画の先生で、忠臣蔵の大石内蔵助の子孫と云う、大柄でえらくげんこつの痛い先生が居られました。どのようにやるのかノウハウが有るのでしょう。頭の脳天からズシンとやられるのですが、本当にズシンと来るのです。大変痛いので500㎏爆弾と云われていました。

 私達中学時代はまだ戦後数年の時代でしたから、戦争に由来する言葉が日常に使われ、先生のニックネームにもボーイングとか、この500㎏爆弾などがあったのです。原爆を別にすれば1tonが最大で、次がこの500㎏爆弾です。

 このことからしても相当なゲンコツだとお分かりいただけるかと思います。

 今でも、ときどき1ton爆弾、500㎏爆弾が不発弾として出て来ますよね。この前は王子で。

 さて、本論。図画の3年間、この500㎏爆弾にやられ続けたのです。何かあると先生、私の所にのしりのしりとやって来て、ズシン、ズシンとやるのですが、皆自分がやられるのではないのですっかり楽しみにしていて、やられる度にヨイショ!ヨイショ!と掛け声を掛けるやつらがいるのです。

 終ると、もう一っちょと掛け声が。すると先生戻って来て、一ちょうじゃなく、ついでに何発かを落として行くのです。えらい目に会いました。この痛さでは何でしかられたかなど、一つも憶えてません。

 私が頭が悪くなっちゃったのは、ことによると、このせいも有るかも知れません。これが無ければ東大だったかも。いや、ホントですよ。



イガグリ頭をこの形でやられるのです。

誰が付けたか私が1年生になったときは、もう有名でしたので。