思い出と云っても私は選手をしたことは全く無いので 本来何んにも無いはずなのに、思い出が一杯有るのです。
高校生のとき静岡国体がやって来ました。今なら富士山国体などと云うのでしょう。
そのとき、父が国体の山岳の役員をしていたことと、父の居た会社に国体に行幸された昭和天皇がお立ち寄りになったため、何となく家まで慌ただしく、お迎えする椅子は天皇陛下が右だろうか左だろうかなど調べたりしてました。
その椅子は高校の月謝が100円位だった当時の価格で100万円とのことでした。父も座って見たか聞いたら、うん、何か有ってはいかんからな、と云ってましたが、何か有る分けなんかありっこないので、きっとどんなものか座って見たのではなかったのかと思います。
天皇陛下と同じ椅子に座ったんだなどと得意顔はしてませんでしたから、多分こっそりだったのかも。
また、当時従妹が通学距離の関係で私の家から高校へ通って居り、ボートでこの国体に出場したため、これまた慌ただしさを醸し出していました。寝坊して、あわてて走って出掛けたりと・・・・。
それだけでなく私は高校時代も応援団に居りましたため、この静岡国体が終わるまでは、壮行会やら選手たちの励ましやらと、これまた慌ただしく過ごしていたのです。
1957年(昭和32年)秋、静岡国体の聖火リレーのときのもの(とのことです)。写真は伊豆・箱根・富士ブログサイト“イーラ・パーク”内“西伊豆*HOT☆NEWS♪”から引用させていただきました。投稿者の方によれば、場所は田子の浦とのことで、違う場合は訂正をとのこと。