按針塚を訪ねました
江戸時代初期、日本近海で難破したリーフデ号幹部乗組員ヤンヨーステンと一所に日本に救出されたアダムスのお墓です。
当時情報の乏しかった西欧情報に精通した優秀な彼らは、幕府の顧問的な役割をはたし、ヤンヨーステンはその屋敷のあった東京八重洲に名を残し、アダムスは三浦按針となり、250石の旗本として三浦半島の地に所領を得、安針塚に祀られています。八重洲は東京駅ですからしょっちゅう行ってますが、按針塚は行って見たいと思いつつ初めてでした。案内図にも10分かからないとあり、京急の按針塚駅で確認したときも10~15分位とのことでした。ちょっと長くなったなと思いつつ簡単な地図をもらって歩き出しました。
ずっと登り坂で、大分歩いたので道を聞くと、未だ15分位はかかると云います、おやと思いながら歩き続け15分位登ったのでまた聞くと15~20分はあるでしょうと。そこからはまばらにあった人家も無くなり、本当の熊や蝮の出そうな山道です。ちょっと不安になりつつも引き返すこともしゃくなので登り続け、結局小一時間かかり按針塚へ着きました。
祖国には妻子を残し、異国の地で過ごした按針達、日本では改めてお嫁さんをもらったとはいえ、大変な人生を送ったものですね。
遣隋使、遣唐使の時代から人々はこのようにして文明を得、広めて行ったのですね。せっかく得た文明、大切にしないと。
按針夫妻のお墓。右が按針。
なぜかそれぞれ石の材質がちがうとのこと。