新幹線と云う名称が出来るまでは弾丸列車と呼ばれていました。今から思うとすごい名前ですね。

これは戦前計画された弾丸列車が戦況悪化で中断、戦後復活されて踏襲されたからです。子供の頃 新丹那トンネルが掘り始められて止っていたのを憶えてます。

中学生になったころ、この中断していた弾丸列車の計画が再度動き出したことを知り、今で云う鉄道ファン、鉄模型ファンだった私は、胸をおどらせ、わくわくしたものでした。

未だ学生だった昭和34年頃、流体力学の試験に、“間もなく弾丸列車が走ると云う高速で走るとき、連結部分に幌が有るのと無いのでは動力がどの位違うか” との設問があり、解くのに冷や汗をかいたことが有ります。弾丸列車にはわくわくしたり、冷や汗をかいたりの想い出があります。

新幹線の名称が付いたとき、200km/hもの速さで走るんだから、慣れ親しんだ弾丸列車の方が いいのではと思いましたが、完成して走る姿を見たとき ああ、やはり新幹線だなと思いました。


一大(いちだい)のブログ


走り始めたころの新幹線0号系。大宮の鉄博にお目見えしたことを伝える東京(朝日かも)新聞から。