2021年の1月、突然父が腰に激痛を訴え、入院した病院でステージ4の原発不明癌の末期だと診断されました。シンガポールに普段住んでいる私は、急遽PCR検査をして東京に帰国しました。

 1月中旬は東京はコロナがピークだったので、帰ってもいいものかとても迷いましたが、父と会わないと一生後悔するから帰ってと家族や友人たちに背中を押され、PCR検査を受け、羽田に到着、そこでも唾液検査をし、レンタカーで実家まで帰り、2週間の自宅待機をしました。3ヶ月、病院や介護サービス申請など様々な手続きを助け、父を自宅から看取るという経験をしました。

 

 その後お葬式や様々な事務手続きを手伝い、夫と子供の待つシンガポールに帰ってきました。3ヶ月の間家族は頑張って待っていてくれたのですぐ帰りたいですが、コロナのためシンガポールではホテルに監禁2週間してからテストを受けて陰性でないと自宅に帰れません。

 

 今日はホテル監禁生活の8日目、1週間経ったところです。オーチャード界隈の小さなホテルで、特に豪華でもないですが、景色が悪いだけで特に問題はありません。食事も機内食みたいですが、時々豪華な時もあります。食事は部屋の外に置かれたテーブルの上に時間が来ると配給されるので、それを部屋に持ち込んで各自食べ、食べたらまたその棚に返すという感じです。

 タオルやシャンプーはフロントに電話するとその度に部屋まで届けてくれます。掃除もベッドメーキンもないので、私は一日置きに掃除機を借りて自分で掃除し、シーツも週に1度変えています。

 

 治療不可能な癌(原発不明癌、希少癌)だったため、本当にあっという間に3ヶ月で天に帰っていってしまった父との別離を思い、今でも涙は溢れてきますが、この2週間のホテルの滞在を自分の介護と喪失を癒すためのリトリートと考え、喪失の本を呼んだり、映画を見たり、父に報告したいなと思うことを手紙にして書いたり、友人とおしゃべりしたりとゆっくり過ごせていることは感謝です。

 東京消防庁で特別救助隊の隊長だった父は、いつも人を救うこと、愛することを最優先して生きてきた強くて優しい人でした。終末期の症状が出ていて痛くてモルヒネも飲んでいたのに、病床では最後まで腹筋500回、腕立て伏せ200回と筋トレを続けていました。どこからそんな力が出ていたのかいまだに分かりませんし、父の病床日誌を見ると泣けてきます。

 

あんなに強くて優しかった父がどうしてと思ってしまいますが、今回コロナにも関わらず日本に渡航できたこと、入院している時はお見舞いができなかったけれど、最後に自宅に帰ってきて緩和ケアをする間、6日だけでしたが自宅でたくさん母と二人で父の介護を思う存分してあげられてたこと、今まで娘として愛して守ってくれたこと、結婚して遠くにいってもいつも応援してくれたことへの感謝を何度も何度も伝えられたこと、そして訪問医療と訪問看護師さんたちのおかげで、愛する妻と娘に見守られ、大好きな池のある自宅から天国にまっすぐ帰ることを望んでいた父の望みを叶えられて、感謝でした。

コロナで渡航も許されていない国もある中で、このような経験ができたことは幸いでした。

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