高校の時からこの戯曲に興味を持っていて、一度読むなりこの戯曲も、ウィリアムズも大好きになった。救い様のない状態でもがいているブランチは性的に完全に破たんしているドラスティックなダークヒロインである。
大学に入ったばかりのころは、ブランチにそのまま感情移入してしまって、読んでいるうちに、ブランチの台詞ひとつひとつを
まるで自分自身が喋っているような気がしてきたものだった。ウィリアムズはきっと私のためにこの戯曲を書いてくれたんだ!と盲信し(痛すぎる)ガラスの動物園、焼けたトタンの上の猫も同時に読んでみたのだが、やっぱりこの戯曲が最高なのだ。
しかし今考えるとそれは典型的な、理想の自分像におぼれる中2病の症状だった。
このタイトルに興味を持ったこともあり、当時の私は、映画版の解説なども含めて、この戯曲の解題を探しまくっていた。
新潮文庫版の解説は「あらゆるレベルで引き裂かれた構造を持つ戯曲」というもの。また、映画版の解説は「ブランチはスタンリーに強く惹かれていた。スタンリーと寝たいという自分の欲望に負けた時発狂する」というものだった。後者については、それはないだろう!と思わず声をあげたくなる解釈である。誰が書いたんだ。結局、私にとって、納得できる解題は見つからなかったのである。
タイトルが「欲望という名の電車」だからって無理やりこじつけたようにしか思えない。
装丁の意味も全然分からなかった。
私は更級日記の作者ばりに現実が見えない人間だが、
しかしこの年になって、もう一度読んでみると、ああこれは夢を追った人間が現実の前でほろびていく姿の戯曲なんだなと感じた。
どことなくチェホフの「かもめ」に似ている。事実、「歩いた大地の上に接吻しかねないほど」ブランチが少年を崇拝していた、という表現は「かもめ」からの引用である。(他にもこの戯曲には他の戯曲から引用したフレーズが数多い)
もうひとつの読みは、ブランチがこの戯曲に「母親」として大きな影を落とす存在であることだ。
ブランチがスタンリーにレイプされるのとほぼ同時にステラの赤子が誕生している。強姦事件はブランチの精神の完全荒廃と破滅を意味するすなわち死である。ブランチが去って、赤子が訪れる。大きな死と引き換えにひとつの生命が世に送り出されている
ウィリアムズの作品には、家系的な一種の呪い、見えない影響力に支配されて爛れた生活を送る人々、破滅への疾走のモチーフがよく出てくる。「音楽」も同様で彼の作品を読んでるとなんか人を操る魔術的な力を秘めた不気味なフーガを聴いているような気がしてくる。
「牛乳列車はもう止まらない」
事実ガラスの動物園の母親アマンダとブランチは人物造型としてかなりよく似ている。
「どなたかは存じませんが…私はいつも、見ず知らずの方のご好意にすがって生きてきましたの。」
これはブランチの完全発狂宣言である。最初にこのセリフを読んだときは、文字通りブランチが藁にもすがる思いで発言しているのだろうとしか受け取らなかった。でも、考えてみれば、医師が登場した後もブランチがこの台詞を言うというのはもはや現実がまったく見えなくなった証拠であり、それを示すために入れられているのだろう。
死の反対は…生。欲望よ。おかしい?おかしいことないでしょう!
>おかしいよ。と言いたくなるけど、これはある意味、本当で、人間のすべての行動って、自分を滅びさせる方向か、自分を生かす方向かしか持っていない。こと地上の人生において、死生は究極の二項対立である。(今は死ぬことが生きることの一部であると思っている。)
私はもちろんウィリアムズが大好きだけど、でもね。今はこう思う。同じ夢を追うなら立原道造みたいに
のほうが風流だわ。・・・とまとめられるエレガンスは東大卒の知能ゆえなのか。
ウィリアムズは、飛び回る小鳥のような空気、を
耳をそばだてて聴いていて、その音を細かく写し取ろうとした本物の詩人であると思う。