皆さんこんにちは♪
今朝、髭を剃ってる時に気付いたことです。
今まではカミソリで髭を整えてましたが、以前父親に買ってあげたシェーバーが不要になり、今は私が毎朝親父の事を思い出しながら使ってます。
そこで、ですが。
Amazonで購入したのですが、他人のレビューって気になったりしませんか?
公平な評価でないものも含まれてる筈ですが。…
(なかなか決めきれない私にとっては、背中を後押ししてくれる強い味方になってくれてます。)
その時のレビューには「とにかくスイッチが固い」「以前使ってたものと比べて………」
指先が少し不自由だった親父でしたが母親も一緒に居るので心配ないと思い、実家に直送してもらいました。
そして、今使ってるのですが…『何の不自由もない』
以前のものは何年も前に捨ててしまってるから
『比較のしようがない!』
んです。
毎日快適に使ってます。
工業製品にも「アタリ」「ハズレ」がありますから、たまたま良かったのかも知れませんね。
まだ他にも、
今年の3月にバイクデビューをしましたが、その時に新車で今のバイクを購入。
ツーリングに行く度に、
「今度のモデルはコーナーの時にブレない?」
「……?」
「今度のフェアリングは、風の巻き込みが少ないらしいけどどう?」
「……?」
「比べたことないんで分かりません!スミマセン!」
って。
日常でも夏場になると、
「マンションの最上階って暑いでしょう?」
「……?」
「他の階に住んだことないんで分かりません!」
って
《こんなもんだろう。》
って生活してますから。(笑)
現代社会は比較が有ってこそ成り立ってますよね。より便利なもの、より良いサービス…
比較競争。その恩恵で今の生活が送れています。
しかし、
それが、物やサービスならまだ良いのですが一旦他人との比較になると問題が溢れてきますよね。
そこには、とるに足らない優越感も有るでしょうが、殆どが他人に有って自分に無いものにフォーカスしだして『欠乏感』
それが、やがて
『焦り』
↓
『自己否定』
にもなったりして。
それを奮起に前に進めれば良いのですが、私にはそれがない。私には出来ない。
なんて、独り落ち込むか、投げやりになるか
ポジティブになる方が少ないように感じます。(最近、私の回りからはそういう人達は少なくなってきましたが)
私は幼い頃から両親が「そんなことしたらふうが悪い」って言うのをよく聞いて育ってきました。
『ふう』って風体の事ですかね?世間体とか…
いつも他人目線を気にしてましたね。
「温泉にでも行く?」って聞くと「こんな体じゃふうが悪い」
「何か外に食べに行く?」って聞くと「すぐに咳き込むからふうが悪い」って…
歳なんだから仕方ないと思うけど、世間体ばかり気にしてきたから、楽しみも少なかったかな?と、思います。
そこにはやはり、他人との比較があるんですよね。
他人をベースに、他人目線で自分を見たときにそう感じたのかもしれません。
本当は他人なんて、本人が考えてるほど他人の事なんて気にしてない
んですがねぇ…
そんな中で一緒に過ごしてきた私もスッゴく他人の評価に敏感でした。
なるべく目立たないようにしてみたり、反対に強がってみたり。弱いところをなるべく見られないようにしてきてましたね。
それが、ここ10年くらい前からかな?
気にするのがアホらしくなって、『開き直り』っていうか、
『おバカ全開!』
で、良いんじゃない?
と、思えるようになり、生きるのが本当に楽になりました。
「楽しそうやね!何も悩み無かろ?」って言われることに《至福の喜び》を感じてます。
《みんな違ってみんな良い》
名言ですし真実ですが、こんなことがなかなか腑に落ちないんですね。
今朝の髭剃りからずっと比較について考えてました。
仕事に集中出来てなかったはずなので、チェックしながら後半頑張ります。
しか~し
午後はツーリングの事で頭が一杯でしょう(笑)
アホ丸出し…でも、サイコー
ではまた!
mitsu
今朝、髭を剃ってる時に気付いたことです。
今まではカミソリで髭を整えてましたが、以前父親に買ってあげたシェーバーが不要になり、今は私が毎朝親父の事を思い出しながら使ってます。
そこで、ですが。
Amazonで購入したのですが、他人のレビューって気になったりしませんか?
公平な評価でないものも含まれてる筈ですが。…
(なかなか決めきれない私にとっては、背中を後押ししてくれる強い味方になってくれてます。)
その時のレビューには「とにかくスイッチが固い」「以前使ってたものと比べて………」
指先が少し不自由だった親父でしたが母親も一緒に居るので心配ないと思い、実家に直送してもらいました。
そして、今使ってるのですが…『何の不自由もない』
以前のものは何年も前に捨ててしまってるから
『比較のしようがない!』
んです。
毎日快適に使ってます。
工業製品にも「アタリ」「ハズレ」がありますから、たまたま良かったのかも知れませんね。
まだ他にも、
今年の3月にバイクデビューをしましたが、その時に新車で今のバイクを購入。
ツーリングに行く度に、
「今度のモデルはコーナーの時にブレない?」
「……?」
「今度のフェアリングは、風の巻き込みが少ないらしいけどどう?」
「……?」
「比べたことないんで分かりません!スミマセン!」
って。
日常でも夏場になると、
「マンションの最上階って暑いでしょう?」
「……?」
「他の階に住んだことないんで分かりません!」
って
《こんなもんだろう。》
って生活してますから。(笑)
現代社会は比較が有ってこそ成り立ってますよね。より便利なもの、より良いサービス…
比較競争。その恩恵で今の生活が送れています。
しかし、
それが、物やサービスならまだ良いのですが一旦他人との比較になると問題が溢れてきますよね。
そこには、とるに足らない優越感も有るでしょうが、殆どが他人に有って自分に無いものにフォーカスしだして『欠乏感』
それが、やがて
『焦り』
↓
『自己否定』
にもなったりして。
それを奮起に前に進めれば良いのですが、私にはそれがない。私には出来ない。
なんて、独り落ち込むか、投げやりになるか
ポジティブになる方が少ないように感じます。(最近、私の回りからはそういう人達は少なくなってきましたが)
私は幼い頃から両親が「そんなことしたらふうが悪い」って言うのをよく聞いて育ってきました。
『ふう』って風体の事ですかね?世間体とか…
いつも他人目線を気にしてましたね。
「温泉にでも行く?」って聞くと「こんな体じゃふうが悪い」
「何か外に食べに行く?」って聞くと「すぐに咳き込むからふうが悪い」って…
歳なんだから仕方ないと思うけど、世間体ばかり気にしてきたから、楽しみも少なかったかな?と、思います。
そこにはやはり、他人との比較があるんですよね。
他人をベースに、他人目線で自分を見たときにそう感じたのかもしれません。
本当は他人なんて、本人が考えてるほど他人の事なんて気にしてない
んですがねぇ…
そんな中で一緒に過ごしてきた私もスッゴく他人の評価に敏感でした。
なるべく目立たないようにしてみたり、反対に強がってみたり。弱いところをなるべく見られないようにしてきてましたね。
それが、ここ10年くらい前からかな?
気にするのがアホらしくなって、『開き直り』っていうか、
『おバカ全開!』
で、良いんじゃない?
と、思えるようになり、生きるのが本当に楽になりました。
「楽しそうやね!何も悩み無かろ?」って言われることに《至福の喜び》を感じてます。
《みんな違ってみんな良い》
名言ですし真実ですが、こんなことがなかなか腑に落ちないんですね。
今朝の髭剃りからずっと比較について考えてました。
仕事に集中出来てなかったはずなので、チェックしながら後半頑張ります。
しか~し
午後はツーリングの事で頭が一杯でしょう(笑)
アホ丸出し…でも、サイコー
ではまた!
mitsu