ここからはタイ編です。
タイ・バンコク編
何も分からないままタイにやってきました。先ずはホテルで事務所だけは準備してくれていて先ずは自分の住む部屋から探します。しかし同行しているのが当時の副社長で現社長。顔から「さっさと決めろ」との圧がかかってきます。
そして法人ではなく駐在員事務所での開始。駐在員事務所と言うのは何れ法人を立ち上げるための情報収集が仕事で営業や営利活動は一切禁止されており自分自身、何をしたらよいのか分かりません。グループの管轄はシンガポールにある工場をメインとしてシンガポール・マレーシアとタイがグループ。しかしこのシンガポールにいるグループ長が悪かった。
当時海外出張者はかなり上の役職者ばかりで自分が知り合う社内の人間はそんな営業トップ連中ばかり。このシンガポールのグループ長は日本でも営業に携わった事のない鼻摘まみ者で全員が全員何でコイツがシンガポール長に成ったのか?っと言われるオヤジ。自分も話して直ぐに分りました。能力も人間的な魅力も無い所か生理的にも嫌になる下品下劣な汚らしいただのオヤジでした。
仕事の指示も命令もトンチンカンなものばかり。大体営業してはならない駐在員事務所の俺に他拠点同様の営業ノルマを堂々と出して来る。当時、販売商社は外資100%では設立出来ず現地資本との合弁が必須でした。結局2年ばかりやり過ごしてタイ国でBOIと言う組織でタイに有るBOI企業をサポートする目的での外資100%の販売会社設立認可が開始されました。
実は自分がコレに申請して通った初の企業でした。 そこからバンコク市内の事務所から郊外の倉庫付事務所に移転。しかし事務所移転の期限が有り色々急ぎ内装を仕上げないとならないのにこのバカ上司、床の色からブラインドの色まで本社の社長決済を仰ぐと言うのだ。人材も募集して面接して確保。
そっからはタイで大暴れの倍倍ゲーム開始でした。あれよあれよと言うまに倉庫は限界に達し再度移転を迫られている時だったか、ある事件が勃発。
ウチの配送運転手は自分の運転手の弟を雇っていたのだが、ある日、友人と飲んでたか?遊んでたか?不明だが喧嘩になり仲間を集める為、社用のステーションワゴンを会社から盗み出し喧嘩会場に行って今度は警察から逃げる羽目に。その際、警官が発砲した跡が車体に穴を空けてたのが生々しい。本人は拘留されており1週間ほど拘留させた後、引き取りに俺がいきました。
そう言えば自分のマンションに停めてた車が盗まれた事が有り、10日程で犯人が捕まり車を引き取りに、カンボジアとの国境手前まで取りに行った事もあった。その時見たのは犯人と面談させて犯人は拘留なんだがどう見ても豚🐖小屋、ワラを引いた木製の檻の中、中央の柱に括り付けられていた犯人。人権なんて全くありません。この時はアコードでしたが犯人から聞いた話しでカンボジアから発注がかかって3チームで最初のチーム①が盗み出し②が国境までの途中まで運転して③が国境を越えるらしい。ナンバープレートも別なのがついてました。
その後倉庫の大きな道路向かいの工業団地に引っ越しを行い売り上げも順調の売買ゲーム。当然人手が足りなくなり自分がとった戦略は営業から品証、購買、経理事務所内全てを女性スタッフで固めました。これには日本からくる出張者も驚いてましたが自分の経験則でタイ人の男は働かない! もともと着る服がなくても凍え死ぬ事は無いし腹減ればその辺の木に色んなフルーツや木の実が生ってる。そんな国に外資が経済を教え今や貧富の差が考えられない状態なのがタイです。
そうして数年たった時、日本から若い駐在員を追加する事が決まりました。今まで一人で全てこなしていたので指揮命令は全てタイ語、自分は現場で覚えました。正直言って英語もできない若いのが務まるか不安でしたが彼は積極的にタイ語も運転もこなしてくれました。ただ当時の最大の会社問題は海外駐在員に希望者がほぼいなくその理由は一般的には4~5年で交代させる駐在員ですが当時、行ったら行ったっきり戻ってこれないのが実情で自分のような現地採用が駐在員になる初めての実例でした。
そして彼の場合独身。かなり心配しました。
仕事自体は非常に楽しくやってました。ただ役職・地位が上がり上層部に接触する事が増えれば増えるほど、自分にとって問題が多々見えてきます。少なくともこの会社、日系企業の海外展開を全くわかってない!全て自分の経験、日本はこうだからっと日本が基準です。これでは海外でのマネージメントが上手く行く訳ありません。前述したシンガポールのポンコツしかり一度日本の常務がっ来た際の事、話は少し戻り駐在員事務所だった時の話で、この常務の営業畑では無いのでタイ現地での訪問先は銀行。その帰り日本食レストランでやっちゃいました。
この常務、日本国内でも非常に評判の悪い3男坊でネチネチした性格上、誰もが避けてる人物。その彼と話している時、余りに売上、上げろ、上げろっとそれしか言わない。そこで皮肉込めて「自分、会社の為に逮捕されるのも厭わず仕事してますが何か?」っと言えばいきなり席を立ち「誰が犯罪行為をやらせてますか~?」っと声を荒げたので「駐在員事務所ってのは会社のパンフもって顧客訪問するだけで捕まるんですよ。捕まるのは俺ですよね」っと言ってやった。そうしたら又、声を荒げて「不愉快だ~!そんな事言う責任者は居ませんよ!」だと。
この話は日本国内であっという間に広がり伝説になりました。
その後、10年かけて売り上げは大台の月商1億円に達し出張者にも説明しましたがタイの場合、日本とは比較にならない程、人件費が安く、総勢30人はいる営業所で我々駐在員の給料入れても月に500万円もかかってません。
そんなタイ人を纏めて仕事してましたがある棚卸の時の事。ラックの一番上の不動在庫、SONY向けCDチェンジャーに使ってた真鍮製リードスクリューと言う大変高価な菓子折り梱包されたパレットを下して確認した際、天面のテープは止まっており通常なら箱記載の数量でOKっとするところですが偶々違和感で開けてみた。そしたら中が空!箱の下を開けて中身を全部盗まれてました。真鍮だから屑鉄に持って行ってもソコソコの値段。しかし数万円成るか成らないか?ですがタイの所得を考えればこういう事やっちゃうんですよね。犯人は間違いなく社員。
転機は8年ぐらい経った頃、もう一人日本から駐在員を増やすとのこと。これには自分はなんで?っと不思議でした。だって要請もしてないのに。そしてシンガポールのポンコツが代わる事も。しかしこの新しいグループ長、営業畑ではありますが超が付くYESMAN. こいつもポンコツでした。
そして発生したのが当時のタクシン政権への軍部クーデター!早朝判明した事で日本人学校からは休校の連絡があり先ずはバンコク市内に住む部下の日本人駐在員に自宅待機命令。そして自分自身は郊外にある会社に向かいました。理由は状況によりバンコク市内から道路封鎖で出れなくなる可能性がありましたのでその前の決断です。そしてタイ人従業員は全て会社付近に住んでいるので出社してきて状況を見ながら情報収集。結果、一刻も早く帰宅しないと今度は帰れなくなる可能性が出てきて当時のシンガポール駐在の上司に状況を報告し全員即時帰宅待機を命令した事を報告。するとこのポンコツ上司、言うに事欠いて「本社への週報と連絡はメール入れて帰れよ」だと。帰路、バンコク市内の交差点では武装した兵士があちこちにおり、いつ発砲事件が起きてもおかしくは無い。こっちは命がけなのにコイツは命より本社への報告書が大事らしい。
その後、タイ現地の付き合いのあったタイ人社長のプレスメーカーからお誘い有って自分がいると下の駐在員の役職が上がらない事、それに自分自身タイでメーカーで有る意義を考え転職を決意しました。オーナー社長との共同経営との事で権限も比較になりません。それにこの会社の持ってる設備も多種多様で充実しており自信を持って製造し販売する自信が有りました。現にIHI向けにターボチャージャーに使用されるスレンレスのプレスパーツを新規受注。
快進撃を続ける予定でした。所がアメリカサブプライムローン問題を発端に発生したリーマンショック。この影響でメイン顧客のYamahaの受注が激減❗️それにこのタイ人オーナー、趣味の様にアマダの機械を展示会毎に使い道決まって無いのに買って行く。もし会社潰れると20億ぐらいの債務影響受けるんで小僧も丁度小学校卒業の時期でタイ国撤退を決意。妻とは自分が転職した時点から不仲で離婚を希望され帰国後小僧は自分が北Qで妻は1人で岡山の実家に帰る事に成りました。
子供居るのに無職での帰国です。
続く