皆さん、自分今日で還暦🟰今日からはれて無職です。思えばこのブログを開始したのは○○○ボルトタイをやめてタイ現地プレス会社TAPに入った頃、2008年1月8日から。途中数年間、休止しましたが17年ほぼ毎日書いてきました。

そしてこのマイナーブログの読者様の中には2009年から見てくれてる方もいらっしゃいます。

今回画像無しの字ばっかしですがコレまでの自分のキャリアの総括を書いて置こうと思い良ければお付き合い願います。とは言ったものの何処から書こうか? まあアメリ時代の時系列で書いてみます。

 

アメリカ時代(オハイオ編)

前述の○○○ボルトUSA INCが自分のねじ屋キャリアスタート地点でした。当時カリフォルニアに家を持ってましたがこの会社でオハイオ州デイトンでの営業所人員で採用と成りオハイオ州にUホールっと言うトラックをレンタカーして友人と2人にシェパード2頭と一緒にデイトンで借りたポーランド人家内のコテージを借りました。なんせシェパード2頭居ましたので普通のアパートではNGです。営業所はもう何年も前にHonda向けに出した営業所でしたが営業の伸びは皆無。つまりこの営業所の営業員は全くと言って良い程、新規開拓等全くやってなかった。そんな中、ねじにおいては知識皆無の自分でしたが、とにかく客先の意向を理解する。貪欲に知識を得る事。兎に角ガムシャラでした。

樹脂屋に行けば樹脂を学びプレス屋に行けば鉄板や溶接を学びそれぞれに最適な締結を提案して採用され特に何処の会社もねじなんて大学でJISはこうだと習うぐらい何で、プロとして彼ら以上の知識を身に付け日系企業の日本人からはかなり可愛がられてました。ある時HONDA研究所の技術部長から

「ねじって何で緩むんだ?」と聞かれ相手が子供じゃなくプロの技術者。3日待って貰い日本本社の品証責任者に教えを乞い軸力で有るとの回答が出来ました。

又、当時のHonda購買担当者であったY氏、ある時アメリカ現地企業が火事で焼け金型がオシャカ。それでもラインを止めない様ジャンボジェットを毎日数機チャーターして生産を繋いでたのを見て尊敬の念を抱きました。売り上げも自分が着任して毎年倍倍ゲーム。2年目には着任時の売り上げを5倍に持っていき日本の本社にも一目置かれる存在に。ただ困ったエピソードとしては事務所の女性スタッフ、朝出社したら入口の真正面で机に足を上げて本を読んでる

その感覚に理解出来ず彼女とは事あるごとにぶつかり挙句の果てに自分が白人女性を差別しているなんて事を日本で言う労基に持ち込み自分はテネシー州ナッシュビル営業所に移動する事になってしまいました。

その後、最大競合会社のO🥢の担当者が「1番目障りな男が居なくなった〜」🤩っと大喜びだった話しを聞きました。

アメリカ時代(テネシー編)

前述の如く実に腹立たしい内容での移籍。ぶっちゃけ腹の虫が収まりません!

仕事並行しながらきっちりケジメ取る事に。それは前述したHONDAのY氏に依頼して彼女の客先対応で無茶苦茶なのは分かってたので逐一記録。そして必然ですがやっぱり大きなミスをやらかし最大顧客であるHONDAへ大きな被害が発生!

○○○ボルトUSA本社のGMアメリカ人にY氏よりクレームを入れて貰いました。そして彼女をクビに葬りました。

ナッシュビルでは今度はNISSANの対応です。

新規も増やし順調でしたが自社倉庫の責任者が倉庫内でマリファナ吸ってる疑惑が発生。現場押さえて無く臭いだけなんで何とか証拠を掴もうとしましたがあの手この手で逃げます。結局抜き打ち検査で捕まえました。何せこの男、事前に健康診断を告示すれば影響の抜ける日まで検査を伸ばし自分が水疱瘡になった時、コイツまで今までかかった事無いと言う理由で会社休む人間でした。無論嘘でしたが。

仕事も順調でオハイオ同様の倍倍ゲーム。そしてある時オハイオでお世話に成ったHONDAのY氏から電話有って俺がお世話に成った借りを返して欲しいとの事。何でもHONDA栃木への帰還命令でアメリカを離れる前にNISSANのラインが見たいとの事。😱 言う方も言う方ですが幸いNISSANとの付き合いはアメリカ人ばっかしで自社の駐在員の名刺を持たせて見学に同行。しかし悪い事は出来ないですね〜。本当に偶然日産ロビーで競合会社のO🥢社員と鉢合わせ❗️無論彼らはY氏が誰か良く知ってます。何とか彼を隠してやり過ごしましたが心臓バクバクでした。

今思えばオハイオ時代は自らが片っ端から知識を得て実際に使う状況を精査してより安くより良い提案を行ってナッシュビルではその応用を活かして一つ上のランクの営業を行い倍倍ゲームを成功させました。

HONDAでもNISSANでも自分初のねじ形状の変更やアッセンブリー変更でアコードやシビック、サニーやダットラに自分発のねじが使われているのを見るのが嬉しく思えてました。

そうこうして数年後、今度タイに進出する責任者の話が来てその時結婚もし小僧が腹の中に居た事も有り現地採用では無く日本からの駐在員としてタイに行く事になりました。

 

続く