母が生きていた頃、

この田舎と街を行ったり

来たりする日々が続いた。

 

こちらへ帰って来ると

街に住む人のほうが、

のんびりしていて

幸せそうに見えた。

 

なぜ、そう思ったのか。

 

「嫁」の責任が重いと

感じたから。

 

ある女性。

結婚して、2世帯住宅に住まわされ、

旦那は、仕事でしょっちゅう家を空け、

生まれてきた子どもの面倒をみるのは

主に若い母親と義理の両親。

若い頃は、旦那の給料もそんなに多くなく、

子どもを育てないといけないし、

いろいろとお金がかかるし。

少ない予算で家計を切り盛り。

子どもが手を離れたら、

パートで働きに出て家計の足しに。

そして、やっと子育てが終わったら、

次は、義理の両親の介護が始まる。

義理の両親をあの世に見送ったら、

今度は旦那の介護

と、考えたら。

イヤになるよね。

農家の場合は、これに、

農作業が加わる。

街で育った人には酷かも。

2世帯住宅ではなく、

同じ敷地内になるけど。

 

それでも、家族だから、

お互い労り合い、

感謝の言葉を述べ合う

のならば、まだしも。

給料をそれほど家に入れず、

自分のことだけに使い、

自分の楽しみ、自分の趣味に・・

あー、もう、書いててイヤになるわ。

それでも耐えている(?)嫁。

いや、文句言ってると思うけど。

 

労わりの言葉。

この辺では、あまり

ないんだよね。

「やってもらって当たり前」

みたいな感覚かな。

”釣った魚に餌はやらない”を地で行く。

変な亭主関白が蔓延っているというか。

時代錯誤も甚だしい。

何様のつもりなんだろうと

思う時がある。

家族や自分の健康に何かあると、

「お前のせいだ」と糾弾される。

 

そして、ついに

”釣った魚”が暴挙に出る。

認知症になって、

旦那を箒で殴る

かも。爆  笑

 

女性のほうがストレスに弱いんだよ。

すぐに不安になるし。

そんなこと、これっぽっちも

考えたこともないんだろうな。