62点。

 

原作は松本清張の同タイトル。彼の友人で検事だった河井信太郎から聞いた話がネタ元だけど、その事実が小説なんかよりもよっぽどエグい。映画は小説に、野村芳太郎フィルターが掛かってより、マイルドに。それでも見ていられない人も居る。テーマが子殺しを扱っているから。

 

 

〜あらすじ〜

ある暑い夏の日、小さな印刷屋を営む宗吉(緒形拳)のもとに、愛人の菊代(小川真由美)が三人の子を連れて突然やってきた。何も知らず、女を囲っていたことに激怒する妻のお梅(岩下志麻)。菊代は子供たちを押し付けて行方知れずとなり、宗吉とお梅は三人の子供を引き取らざるを得なくなる。子どもたちは、嫉妬に駆られたお梅に手酷く冷たい仕打ちを受けることになる。次第に、無邪気な子供たちの姿に苛立ちが募っていたある日のこと、赤ん坊の次男が亡くなっていることに気付き……。

(※映画ドットコムより抜粋)

 

 

以下、ネタバレ。って言うか、感想。

 

 

□野村芳太郎フィルターって。

 

 

子どもの演技に期待が出来ないのは当たり前かも知れないけど、もうちょっとくらいやり様が…。だから、見れるのかも知れないけど。

それよりも、一番大きいのは利一の

「お父ちゃんなんかじゃない。知らない人だ」を、視聴者がどちらとも取れるように脚本を変更したこと。〝そうじゃない〟と脚本を担当した人がボヤいたそうだけど、私も〝そうじゃない〟と思う。一緒に呑もうか。水割り作るよ。

 

 

□これは父親を庇っているのか、拒絶しているか。

心情では庇っていると取りたくても、それは大人側から見るエゴに過ぎないなって。子どもを小さな人であると捉えた場合に、親に何かをされる可能性があっても、自分を愛してくれていると信じたい、だから、自分も愛するのが当然だと思い込んでて。

 

 

頼るしか無い立場でもあるから、いじらしくも一緒にいるのに、実際に、寝ていた時に崖から落とされたんだから、もう親を捨てるしか道が無い。実際、ここで捨てられて良かったと思う。利一、6歳。人生はこれからだから。彼に幸あらんことを祈って、このグラスを掲げよう。

 

 

□宗吉は語る。自分は両親に捨てられた。

子どもって大人の難しい話を解らないようで、聞いていないようで居て、何となく、ニュアンスくらいは掴んでるどころか、完全に理解していることが多い。実際、この宗吉の身の上話が無かったら、利一は親を捨てる選択肢があの場では出て来なかった可能性がある。唯一、父親として息子の役に立ったのがその会話だなんて、終わっていませんか。

 

 

子どもにとって、世界とは親が全ての時期が確実にあって、だからこそ良く見てる。

 

 

□「あのね、よっこ、お父ちゃんのこと大好きですよ」

なぜ、あのタイミングでこの言葉が出て来たのかを良く考えるべきだと思った。何となく、自分が捨てられることに気付いていたって考えるのが、順当だと思う。ただ、良子はまだ3歳で、どうしたら良いのかが解らない。だから、自分が言われたら嬉しいことを宗吉に言ったんだ。良子にそういった不安の感情が一切無かったなら、たった一つの出口、エレベーター側に目線なんか直ぐに行かなかったし、視線が合うことは無かったんだから。

子どもが何も解らないなんて、本当に大間違いなんだよ…。大人のみんなには解ってあげて欲しいんだ…。

 

 

 

〜総評〜

何より、庄二は助からなかったのが悲しい。最後のカットですやすや寝てたけども。これは大人たちの勝手な都合に振り回される、悲しい子どもたちのお話だった。宗吉に至っては、後悔してるふう、反省してるふう、子どもを可愛がるふうが、凄く鼻について嫌だった。無茶苦茶してるお梅の方が、まだ、全力で受け入れられないことを表現しているだけマシだと思う。何故、宗吉は自分がされたことを繰り返すのかな。狂ったふりしてる場合じゃないよ。子どもを全力で守れ。例え、死んでも。

 

 

浮気して子どもこさえて、面倒見切らんとか。終わっていませんか。

 
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