67点。
七夕だし、恋愛映画の感想を書きたいと思う。けれども、悲しいかな、私には綺羅びやかなことは書けないよ。七夕をロマンチックに演出してあげることなんか出来ないんだ。ごめんね。
~あらすじ~
仕事を辞めて何もせずに生活していた達夫(綾野剛)は、パチンコ屋で気が荒いもののフレンドリーな青年、拓児(菅田将暉)と出会う。拓児の住むバラックには、寝たきりの父親、かいがいしく世話をする母親、そして姉の千夏(池脇千鶴)がいた。
達夫と千夏は互いに思い合うようになり、ついに二人は結ばれる。ところがある日、達夫は千夏の衝撃的な事実を知り……。
(※Filmarks映画より抜粋)
□その前に、当映画を観て思い出した、私の友人の生い立ちのお話がある。
例えば、外に男を作って、たまに、小学生の姉弟にいくらかのお金を渡すためだけに帰って来る、母親失格のシングルマザーの家。部屋は一切片付けようとせず、ゴミで溢れ返って足の踏み場も無く、子どもたちは簡単なものしか作れないから、いつも、インスタントラーメンが二人の主食だった。姉が体で稼げるようになると、母親は家に全く寄り付かなくなり、彼女たちが成人する頃には完全に姿を消した。
これは、不幸には違いない。彼女たち自身も世間からズレていることは解っているのと同時に、世間が助けてくれるとも思ってなかった。けれど、彼女たち自身は、周囲に対しての自然な優しさや、愛に溢れた人間だった。
決して、強くなんてない。何をしたって、強くなんてなれなかった。
人間は柔らかい肌のままだから、痛くて。痛みがわかるから、人に優しくできる。
真摯で純粋であるからこそ、不浄を受け入れ、誰よりも汚れた。そんな彼女が愛されないなら、この世の恋愛なんて全て、嘘っぱちだ。
□このような全てを受け入れられる人が居るのか。そして一緒に歩んでいけるのか。
彼女たちはある種の〝自責の念〟に苛まれ、諦めの境地にいた。それは、究極の自己犠牲とも言えて、一人だけ救われることを自らに許さなかった。
姉は母親のように、弟を置いて行く選択を取ることが出来たなら、その後自分を責め続けるかもしれないけど、一人なら這い上がること自体は可能だったし、その選択を誰も否定することは出来ない。生きるってそういう側面もやっぱり、ある。
さて、どちらが清く、正しい道か。その時、光はどこにあったというのか。
彼女は母親と違い、最後まで逃げずに弟を育てた。そして、彼女の過去を受け入れてくれた男性と、明るい家庭を築いたのだった。これぞ、真の恋愛といえる。
と言うわけで、当映画も解ってるよね?しょうもないラストなら、マジぶち壊すぞ。
以下、ネタバレ。って言うか、感想。
否定をしないことが愛を体現する。それが、正しいかは別として。
・拓児が食べちゃうあの薬は何か?
千夏の料理をしている最中に、母親がフライパンにその薬をひと粒投げ入れて、千夏が料理をやめたところで、拓児が持ってって食べちゃうのに誰も止めない。
「脳梗塞なんだって。わかったっしょ?隣の部屋で何してっか。拓児は、親父なんか殺してまえって。性欲を抑える薬もあるんだけどね。でも、それ使うと脳みそが早くダメになるみたい。驚いた?」
これは、ただの抗男性ホルモン薬。料理に入れると加熱されて分解するので、拓児が食べたとて、全くの無害。脳細胞が破壊されることなんて無いことくらい、みんなが知ってる。この物語のサイドテーマに、献身的に尽くした母親の存在がある。性欲と言えど、残っている夫の我を縛りたくなかったんだろう。薬を飲ませることについては、おそらく千夏と母親は何度もぶつかったと思う。そして、それは中途半端で解決されないまま、料理に欠かさず毎日入れるという、不思議な行動になっている。
・ことを見てから、紫陽花の隠喩まで。
このシーンが視聴者に一番の衝撃を与えるのと同時に、背景描写を不足させた元凶だと思った。介護は当然に、食事の世話、排泄の処理、衛生面の保持等、多岐に渡る。これを、隠れがちな性質の問題ではあるけど、性の部分のみに強調し、フォーカスを当てるのは、些か乱暴な方法だ。出来れば、おむつとか、し尿とかの下処理系の描写もあれば。ただ、疲弊した母親を度々映すだけでは、彼女が献身的に介護をしていただろうことが読み取れず、薬のシーンとも繋がりにくい。この物語における愛を強調するには、衝撃や見せ場とかじゃなく、背景を緻密に描くべきだったと私は思うぞ。
〜総評〜
千夏に感情移入をがっつりしてしまって、色んな感情がごちゃ混ぜになってしまい、文章に落とせません。
達夫とのやり取りはもう、言っては自分も傷付くのだから、もうね、感情がバグる。恋愛映画はやっぱり無理っす。その点、男たちの友情はつくづく、格好良い。達夫と拓児も勿論だけど、達夫と松本も。この人たちが正に、光に導く者だった。
変化球な恋愛とはいえ、未怜さんのHPはごりごりと削られました。