邦題:八仙飯店之人肉饅頭

35点。

 

ネット上のおどろおどろしい紹介レビューは間違ってはいないけど、この映画をひと言で表すなら「低俗」って感じ。とりあえず、誰にもお勧めしないとくね?

 

けど、この記事に関しては、私、本気出すよ!?デカウーピンなみにね?

 

 

↑左手芸、キャタピラー、すり替え。〝怠惰を求めて勤勉に行き着く〟

 

 

〜あらすじ〜

1986年、マカオの海岸でバラバラ死体が発見された。腐敗が進んでいたために警察の捜査は難航したが、やがて死体の身元が判明し、八仙飯店の店主ウォンが容疑者として逮捕される。壮絶な取り調べの末に自白に追い込まれたウォンは、元の店主チェン一家を皆殺しにして店を乗っ取ったことや、彼らの死体をミンチにしてつくった饅頭を客に食わせていたことを告白しはじめる。

 

 

以下、ネタバレ。って言うか、考察。

 

 

□私は、抗うもの。天の邪鬼ともいう。

 

 

当映画の基になった〝八仙飯店一家殺害事件〟は、冤罪の可能性を完全には否定することが出来ない。少なくとも、人肉饅頭を作り販売したとされるのは、理論的に考えても不可能に近いと言える。当映画は実際の事件を基に、ホラー映画として脚色されたフィクションであり「史実に近い」といった表現は適切ではありません。

 

 

□無責任な噂話と一部マスコミの功罪。

容疑者の黄(ウォン)は、借金を巡る口論から、鄭家の一家を殺害、遺体を切断して海やゴミ捨て場に遺棄したが、一部が浜辺で発見されたことにより逮捕される。事件の発覚前に暫くの間、黄が八仙飯店を経営していたことで、それを使った料理が提供されたとの噂話が広まる。

 

 

黄は、自身の犯行を認めたものの、噂を肯定するような証言や証拠を残しておらず、彼の自殺後、事件はますますミステリアスなものとなり、真しやかな都市伝説として一人歩きしたもの。一部マスコミはセンセーショナルな報道を行い、それを助長したけれど、当時の新聞記事や警察の発表には一切、触れられていないのが真実だ。

 

 

□私は、日本国の民でありますゆえ。

日本文化の宗教観は死者の尊厳を深く尊重する。神道では、死者の魂は神聖視され、祖先として祀られるものであり、遺体を冒涜する行為は家族、地域社会のみならず、国に対する侮辱と同義だ。仏教では、基本的な教義に反するもの、キリスト教ならば罪とされる。

 

 

亡くなられた方が食べられたと流布するのは、事実で無ければ、死者への冒涜であるから、私はこれを否定したく、個人の尊厳を守ることを是とする。

 

 

□人間は労力と手間を比較する性質がある。

解体には高度な解剖学的知識に加えて、技術が必要となる。骨や筋肉、内臓を正確に切り分けなければならない。骨や内臓を傷付けてしまうと、可食部分を無駄にするし、脂肪が多く含まれる部分を見極める必要がある。加えて、適切に処理をしなければ、感染症を引き起こす可能性までも考慮すると、素人にははっきりと不可能です。

 

 

この点で、海に捨てる方が手間が少ないことは理解出来る。実際、黄は海に捨てることを選択した結果、遺体の一部が海岸で発見された。これが、最も現実的な証拠と言えるでしょう。

 

 

□当時のマカオの情勢と警察機構。

1980年代のマカオは、急速な都市化と経済成長の一方で、犯罪発生率も高く、警察の捜査手法については多くの批判があった。特に、拷問や強制的な自白については問題視されていた背景がある。当映画でも描写はあるけど、黄に対して、激しい拷問と長時間の尋問を行い、睡眠を剥奪して精神的な疲労と混乱を誘発させ、挙げ句、覚醒剤を投与するまでに到る。

 

 

ウィキペディアで見られる、新聞社宛に送った黄の遺書の要約は無実を訴えている。

〝人の将に死なんとする其の言や善し〟当時のマカオの地元紙のデータはネット上では見つけられず、私には遺書の全文、真実を知る由も無い。もし、これが冤罪だった場合、当映画の警察内部のコメディ部分こそが、げに恐ろしきは人の業を垣間見えるものであると私は思い、身震いするのだ。

 

 

〜総評〜

この記事は、私個人の「十二人の怒れる男」であることを補足としておきたい。でもこういった論評は、国が成熟していく上で必要な観点であり、その国の民から発していかなければならないのではと〝日出ずる処の天使が文(ふみ)を〜云々〟

 

 

A・ウォンの怪演が凄いんだけど、彼はこの役が大嫌いなんだって!

 
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