邦題:シェーン
73点。
「ドライヴ」は当映画に通ずるといった論調を目にして鑑賞です。成程、類似点は多々あれど、こちらは大先輩だし、テーマはもっと深い。西部劇自体が初見なので、ズレたレビューかも知れませんことを先にお断りしておきます。
~あらすじ~
悪徳牧場主ライカーに苦しめられていた開拓者ジョー一家のもとに、流れ者シェーンが現れる。シェーンは一家に身を寄せ、ジョーの息子ジョーイや、他の開拓者たちと友情を結んでいく。しかし、ライカーの暴力は次第にエスカレートし、開拓者の一人が殺されてしまう。
(※映画ナタリーより抜粋)
以下、ネタバレ。って言うか、感想。
それにしても、西部劇ってこんなに泥臭くて、何だか可愛らしいと思える映画だったんだね。当映画だけかも知れないけど。これから見識を深めたいと思います。
って言うか、想像以上にシェーンが喋る。西部劇の主人公は寡黙だと思ってた。現代の映画と比べると、冗長部分が気になります。それもかなり尺が長めです。
□西部劇におけるお約束、ルール的なもの。
劇中で頻りに、銃を先に抜かせようとする描写があって、その説明もなされます。
↑私は勝ちました。(広告が邪魔です。)この診断から抜粋したルールは下記。
【ルール】 早撃ちガンマン勝負では、敵より先に腰の拳銃を抜いてはいけません。なぜなら、敵が先に抜いてくれないと、正当防衛として認められないからです。敵が抜くまで待つ我慢強さと、先に抜いた敵よりも早く撃つテクニックが勝利条件です。
銃を抜かなければ、自分が死ぬこと、人を殺すことも無いのに、何で銃を抜くの?
私のこの疑問は劇中でマリアンも口にしていました。
□銃社会のアメリカで。まして、西部劇だけど。
「銃がなくなれば平和になるのに」
素手での喧嘩は名誉の負傷とマリアンは理解を示しています。プライドを守る行為は許される。シェーンとジョーの多人数での喧嘩のシーンはなかなかの迫力で、何気にバーテンも参加してるところはツボでした。
□争いの理由、どちらにも言い分はあること。
どちらが正しいとかは解んないけど、徒党を組んで嫌がらせをするライカー一家が、やっぱり悪者に見えます。開拓民が必死で開拓した土地を何度も荒らし、そんなやり方に嫌気が差して一家を抜ける人も居たりして、他所から用心棒を呼んで来るとか…やり過ぎ。うん。テンプレの悪だな。
私の西部劇のイメージ。当映画は↑の元ネタの一つ。
□やっぱり、最後はこうなるんだけど。
ライカ―一家に乗り込むジョーと、それを止めるシェーンで男同士タイマンの喧嘩に
なります。やっぱり、当映画って銃での戦いを全く賛美していない。西部劇だけど。
これを観てると、各々の思いが浮かんで来るようですね。行けば、どちらかは居なくなるって、ジョーイ以外はもう既に解ってるような気がして。
銃を抜いたら誰かが死ぬんです。それも、上記に対して比べるでも無く一瞬で。その結果、環境が何もかも変わってしまう。正義も悪も飲み込んでしまうから。シェーンはその意味で流浪せざるを得ないだけだと思って。そう、流浪が性に合っているようで、その実、この場に腰を落ち着けるつもりも充分にあったように思える。ジョーと仲良くなれたのは、彼の地を足につく生き方に理想を見たんだ。
これ、もうシェーン自体が死んでるって考察がありますけど、そうだとしたら、実に皮肉で、寂しいお話です。誰も彼を解ってあげられなかったんじゃないのかなと。
周りは彼に感謝して、英雄だと褒め称えるのかもしれないけど、シェーンは
「英雄なんかじゃない」って絶対に思ってる。