邦題:奇跡の人

80点。

 

当映画で描くのは、ヘレン・ケラーの偉大な物語の最序盤、そして、原題が意味するのは何とサリバン先生のこと。ヘレン・ケラー女史はその

〝奇跡を紡いだ人〟なのですね。

 

 

~あらすじ~

聴くことも、見ることも、喋ることもできない三重苦を負った少女に、生きる歓びを与え、人間としての自覚をもたらした女教師の偉大な愛と教育への意志を描く。

(※映画ドットコムより抜粋)

 

 

以下、ネタバレ。って言うか、感想。

 

 

□長回しの迫真の演技…これは演技なの?本気じゃん?

サリバン先生役のアン・バンクロフト、ヘレン・ケラー役のパティ・デュークは、1959年に初演の同名舞台演劇からのキャストで、息のあった演技が評価され、同年のアカデミー賞の主演女優賞と助演女優賞を獲得しています。

 

 

□前述の賞獲得のように、奇跡は人の手で起こすもの。

他人だから出来たことだけど、他人だからこそやらないし、出来ないことを実行して為したことが紛れもなく奇跡の教育者と言えます。

 

サリバン先生が何故そんなことが出来たのか、その悲痛な生い立ちや、教育に対する考え方、その苦悩、特に、愛を持てるかの葛藤が細やかに描かれています。それって実に、人間として自然なこと。同じようにサリバン先生も学んでいくのです。

 

 

□愛と甘やかすことの本質的な違い。

現代では、取り扱い注意となってしまっているテーマで、ヘレン・ケラーは三重苦の障がい者であるのは間違い無いけども、彼女に普通の人間として、本気で向き合った初めての人間がサリバン先生。ただ可愛がり、食事を与えるのはペットと一緒。人間では無い。これは、実に耳が痛い台詞になると思います。

 

これは極端な例ですが、愛があるなら、厳しくしても、叩いても良いとか、そういうことじゃなくて、今まで甘やかしてしまい常識を知らなかった、知る機会が無かったヘレン・ケラーに対するこれは荒療治に近くて、実際のところ、もう、それしか方法が無かったんだと思います。なので、日頃から本人の為を思って、真剣に都度教えて行かないとです。可哀想だからとか、もしかして、面倒だから、その内自分で気付くからとか、棚上げって政治家も度々やるし、やっぱり良くないこと。

 

 

□総括。

つまり、教育とは(やり方に正解は無くとも)本気でその対象と向き合うこと。これに尽きると思いました。

 

 

伝説の感動のシーンは、私の目からもウォーターがなみなみと…。

 
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