邦題:イット・フォローズ
56点。
~あらすじ~
19歳のジェイはイケメンのヒューと一夜を共にするが、豹変したヒューによって縛り付けられる。ヒューは“それ“に殺される前に誰かにうつせ、とジェイに命じる。
“それ“に捕まれば必ず死が待っているが、セックスによって他人に移すことができるという。
(※映画ナタリーより抜粋)
当映画は、評論家の偉い先生方が性病のメタファーとして警鐘を鳴らす映画だと表面だけを捉えて発表したところ、巨匠タランティーノ監督がその意見に乗っかり
「この映画はとても素晴らしい!しかし、いくつか欠点がある」
と持論を展開したところ、当映画監督は
「それはミスリードだ」とはっきりと否定した経緯があります。
これは私の経験則、タランティーノ絶賛は信用出来ないと思っているのですが、同じ監督業をしていて、彼に真っ向から逆らうなんて骨があると思うとともに、どこかで観て、私もズレた持論をかまそうと思っていた映画です。
以下、ネタバレ。って言うか…。
□性病のメタファーを否定する理由。
風邪でもあるまいし、うつして治る(医学的根拠は無し。)もんじゃないでしょう。一時、誰かに擦り付ける意味ならば、爆弾ゲームのイメージが近くて、実際のところは、劇中でトランプでババ抜きをしていたので、それです。
つまり、これは爆弾であって、ババであって、死の呪いであると考えるものです!
□ティーンに持たすのは可哀想ではないか。
洋画見てると、十代でも大人に見えて忘れがちだけど、子供です。何より、最愛の人と結ばれない呪いなんて怖いと言うか、エグいですって。「リング」みたいに解決に動いて、原初の呪いを解呪しないと。って言うか、何で物理が効くのよ!?こら!
さて、前述の通り、すったもんだがあったので、監督がどこかのインタビューで根幹を答えてしまっていました。ご興味があれば、調べて下さればと思いますが、端的に言えば、性病のメタファーとは全くの逆、極端な言い方をすれば
「人間いつ死ぬか解んないし、享楽に生きようぜ、フゥ〜!」ってことでした。
…今回ばかりは、評論家先生とタランティーノ監督の肩を持ちます…。