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邦題:オリエント急行殺人事件

56点。

 

アガサ・クリスティ「オリエント急行の殺人」を原作とする探偵物のミステリー。

古くは1974年に同タイトルで映画化、当映画は最新にあたる。

俳優陣が豪華過ぎて良く解らない事になっています。オリエント急行はお洒落で贅沢な雰囲気。舞台は昔の英国だよね、こんなに賑やかだったんだろうか。素敵。

ここに滝藤賢一が加われば、事件が起きる前に解決出来ると言うのに。

 

 

以下、ネタバレ。っぽいけどそうでもない、感想。

 

 

何となく列車物は苦手意識があります…。

西村京太郎の鉄道ミステリーは時刻表トリックとか、頭の良い人じゃないと理解出来ないと思い込んでいるのと、映画では水野晴郎のシベリア超特急とか全く面白そうに感じないし、そもそも電車に興味が無い事も手伝って、避けている嫌いがあります。

 

多分、電車が舞台の物は暴走特急くらいしか映画では見た事ないです。

 

正直、結末はこれで良いのか私には解りませんが、アームストロング大佐からの依頼の手紙をポワロが受け取る頃にはもう既に悲劇が起こっていたし、ジョニー・デップの顔が嫌いと言う理由で警護依頼を断らなければ、悲劇が起きる前に防げていたかもしれなかった事がポワロの頭の中にあったのかもしれません。

その意味ではポワロも関係者と言えなくもない?

 

「この世には善と悪しかなく、その中間は存在しない」

とはポワロが述べた台詞ですが、2つの卵は同じ大きさじゃないと食しないとか、馬糞を片足で踏んだら両足踏まないと気が済まないとか、滑稽を通り越して病的と言える拘りがあります。その拘りを曲げて中間が存在すると認めて実行したのですね。

どっかの刑事も言ってました。

「人を裁く権利は我々にはありません。私たちの仕事は、ただ事実を導き出すだけです。」田村正和でした。

 

私の感覚なら、善と悪はむしろ無くて、共存した中間しか存在しませんし、卵はいつだって同じ形は有り得ないし、馬糞を踏んだとして被害は最小限に留めたいものですから、この辺は結末に繋げた伏線なのかなと思いました。

 

 

 

↑どっかで見た事がある構図ですが、何かのメタファーらしいよ。知らんけど。

 

 

ただ、あまりにも有名な小説ですから、読んでいなくても何となく結末を知っていたのかもしれません。じゃなければこんなオチを読めると思えません。早い段階で犯人に気付いてしまったのでそこは残念に思います。

 

「じっちゃんの名に懸けて、真実はいつも一つ!」