2Aから3Bへ

子供の頃は、田舎の小さな小学校でのびのび過ごしてましたが、勉強は出来ました。
テストはほぼ100点。学校の勉強だけで理解できたのでウチでは勉強しませんでした。
5年生の時に赴任してきた担任が、1日にノート2ページ分、家で勉強することを強要します。
お調子者の私は勉強せずに、「ノート忘れてきましたテヘ」と言いましたが、「だったら家に戻れ」と言われ、そのまま学校へ行かなくなりました。
当時偏差値が70あったらしい(その担任談)のですが、学校へ行かなくなった私はみるみる成績を落とし、以後中の上くらいの位置で学生生活を過ごすことになります。
大人になって「期日までに提出すること」も大切なことと知りますが、「あの時もうちょっと俺を伸ばしてくれたらなあ。チッ」なーんて思ったりもします。
アメブロde本(PC)
以後は当ブログ傑作選(自分で言ってるよ)です。
過去にUPしたもののコピペですので、むりに読まなくてよかです。
1995年菊花賞
マヤノトップガン
この年は「幻の3冠馬」と言われたフジキセキが弥生賞でリタイア。
ジェニュインが皐月賞を取ったものの秋は天皇賞路線へ。
タヤスツヨシがダービーを取って、菊花賞路線へ。
菊花賞トライアルにマヤノトップガンはいました。
ジェニュインが皐月賞を取ったものの秋は天皇賞路線へ。
タヤスツヨシがダービーを取って、菊花賞路線へ。
菊花賞トライアルにマヤノトップガンはいました。
7月に900万勝ち、神戸新聞杯と京都新聞杯で鞍上田原成貴は先行、差しを試し(G2で試すなよ)2着を重ねて本番の菊花賞を迎えました。
Ⅰ理論ではマヤノトップガンは1A 8~15F、出走馬で唯一と言っていいステイヤーです。
迷わず馬連で1万円ずつ総流ししました(計17点)。
迷わず馬連で1万円ずつ総流ししました(計17点)。
トップガンは3番人気。1番人気は海外遠征帰りの牝馬ダンスパートナーでした。
レースはマヤノトップガンが4角先頭で快勝、2着に9番人気トウカイパレスが入り、馬連6330円。
約63万を手にしました。
約63万を手にしました。
菊花賞を勝ったマヤノトップガンは有馬記念に直行しました。
ここでも私はトップガンから行くことに決めていました。
1番人気はヒシアマゾン。股間節炎で精彩を欠いていた前年の3冠馬ナリタブライアンが2番人気。
マヤノトップガンは6番人気でした。
トップガンの相手に選んだのは、JC6着で調子が上向いてきた、ナリタブライアンでした。
調子さえ良ければ、一番強いのはこの馬ですから。
逃げるマヤノトップガン、4コーナーで先団に取り付くナリタブライアン。マッチレースになるかと思いました。
先頭でゴールするトップガン。直線半ばで後退するブライアン。タイキブリザード、サクラチトセオーにも先を越され、ブライアンは4着でした。
結果 http://db.netkeiba.com/race/199506050809/
この時に決めたのです。「たぶん次走は2頭とも阪神大賞典だ。金貯めて1点で勝負してやる。」
ここでも私はトップガンから行くことに決めていました。
1番人気はヒシアマゾン。股間節炎で精彩を欠いていた前年の3冠馬ナリタブライアンが2番人気。
マヤノトップガンは6番人気でした。
トップガンの相手に選んだのは、JC6着で調子が上向いてきた、ナリタブライアンでした。
調子さえ良ければ、一番強いのはこの馬ですから。
逃げるマヤノトップガン、4コーナーで先団に取り付くナリタブライアン。マッチレースになるかと思いました。
先頭でゴールするトップガン。直線半ばで後退するブライアン。タイキブリザード、サクラチトセオーにも先を越され、ブライアンは4着でした。
結果 http://db.netkeiba.com/race/199506050809/
この時に決めたのです。「たぶん次走は2頭とも阪神大賞典だ。金貯めて1点で勝負してやる。」
前年の有馬記念から約2ヵ月後、阪神競馬場にナリタブライアンとマヤノトップガンが現れました。
1番人気は有馬の覇者マヤノトップガン。2番人気がナリタブライアン。
馬連に50万。
最初は10頭立ての長距離戦だけにスローペースの我慢比べ。
レースが動いたのは2周目の3コーナー付近。マヤノトップガンが先頭に躍り出ます。
それについていくナリタブライアン。
直線は2頭のマッチレース。3着以下を9馬身以上離して、最後の最後にブライアンが前に出たところがゴールでした。
http://db.netkeiba.com/race/199609010511/
馬連210円。私が初めて大口払い戻し口に並んだ瞬間でした。
「よし、次は天皇賞春だ。」
1番人気は有馬の覇者マヤノトップガン。2番人気がナリタブライアン。
馬連に50万。
最初は10頭立ての長距離戦だけにスローペースの我慢比べ。
レースが動いたのは2周目の3コーナー付近。マヤノトップガンが先頭に躍り出ます。
それについていくナリタブライアン。
直線は2頭のマッチレース。3着以下を9馬身以上離して、最後の最後にブライアンが前に出たところがゴールでした。
http://db.netkeiba.com/race/199609010511/
馬連210円。私が初めて大口払い戻し口に並んだ瞬間でした。
「よし、次は天皇賞春だ。」
天皇賞(春)
まさか・・・
阪神大賞典で払い戻した100万を持って、WINS浅草に行きました。
1996年4月21日。トップガンとブライアンで決まると思ってました。
1996年4月21日。トップガンとブライアンで決まると思ってました。
直線は2頭のマッチレース、と思いきや後退するトップガン。
ゴール前先頭に立ったのはトップガンでもブライアンでもなく、サクラローレルでした。
http://db.netkeiba.com/race/199608030210/
I理論で2Bのローレルが8大競走のこのレースを制したこと(それまでは3B以上はあった)、2000mの大阪杯から連対する事も困難なのに1800mの中山記念から来た事など、にわかには信じがたい結果となりました。
ゴール前先頭に立ったのはトップガンでもブライアンでもなく、サクラローレルでした。
http://db.netkeiba.com/race/199608030210/
I理論で2Bのローレルが8大競走のこのレースを制したこと(それまでは3B以上はあった)、2000mの大阪杯から連対する事も困難なのに1800mの中山記念から来た事など、にわかには信じがたい結果となりました。
7月7日に行われた宝塚記念。ナリタブライアンはそこにはいませんでした。
この年から1200mになった高松宮杯に出走、3200mから1200mへの距離に対応できず4着、そして故障~引退。
マヤノトップガンが1番人気でレースを迎えました(ローレルはなんで出なかったんだっけ?)。
私が相手に選んだのはサンデーブランチ。もともと素質を評価されていたこの馬は、900万・1500万を連勝してG2金鯱賞で2着。そして何より1A(8~12F) 。当日は4番人気でした。
馬連で50万。
youtubeに映像は無さそうです。トップガンは危なげないレース振りで1着、サンデーブランチがダンスパートナーをクビ差振り切って2着を死守しました。
http://db.netkeiba.com/race/199609030810/
馬連890円。400万強の払い戻しを受けました。
トップガンの馬券の思い出はこれで終わり。あとはハズレたり、当たっても妙味なかったり。
ここまで出た馬のⅠ理論での血統評価
(評価の高い順に3A→2A→1A→3B→2B→1B→Cです)
ナリタブライアン 2A(9~16F)
ヒシアマゾン 3B(距離適性忘れた)
タイキブリザード 3B(8~12Fだったかな?)
サクラチトセオー 3B(8~10Fだったかな?)
フジキセキ 1A 8~12F (ダービーまではともかく、菊花賞は厳しかったかも)ジェニュイン 3B 5~10F (秋の路線は正解)
タヤスツヨシ 1A 6~11F
ダンスパートナー 3B 8~12F
トウカイパレス 3B 8~11F
ちなみに
ビワハヤヒデ 3A(8~15F)
ナリタタイシン 3A(9~15F)
ウィニングチケット 3B(8~10F?)
ミホノブルボン 2A(8~15F)
ライスシャワー 1A(10~16F)
これでクチコミ番付金星取れるかね?