五十嵐理論 | 出会いはフローテーション♪

五十嵐理論

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私が競馬を予想する時に使うⅠ理論は、五十嵐良治さん(故人)が1983年に競馬ブックで発表した「血の提言」と言うのが基になっています。

以下、http://homepage1.nifty.com/nereide/index.html からの無断転載です。南タソゴメンね



~本編に入るまえに~
-'83年11月28日-

これから8回の予定で解説するサラブレッドの血統内に潜んでいる、いろいろな謎―競走能力の遺伝の法則、能力強化の血の仕組み、あるいは能力の低下を引き起こす血の仕組みの欠陥あるいは弱点等―これらについてゴマカシのない明快な結論が与えられ、血の仕組みの内容が逐一解説されるが、これらはすでに理論的な解明を完了したもの、あるいは充分な数の数百例の実証を得たものばかりで、推論や想像によって述べられたものは一つもないことを最初に明言しておく。

従ってこれらの意見や解説に基づいて競走馬の血統構成を分析すれば、その競走能力をほぼ正確に把握できるのだが、このことは煎じ詰めれば、父となる種牡馬の血統と母となる繁殖牝馬の血統によって、サラブレッドの競走能力の可能性はその生産以前にほぼ的確に評価できるのである。
従って、低素質の産駒あるいは極端に低素質のデキソコナイ馬の生産を未然に防げることになる。

こうした見解はこれまでのサラブレッド生産界の常識を根底から覆す衝撃的な発言だが、おそらく喧々ごうごうたる論争を巻き起こすであろうと考えている。

血統研究の意義は、単にその馬の競争成績、その父の競走成績および優秀な産駒の数々、母の・祖母の・3代母等々の競争成績および産駒を並び立てれば充分だという訳にはいかない。最も重要なことは、その馬の競争成績が達成された能力の原因を血統構成の中に見出して、その馬の競走能力の可能性の実体を具体的に掌握する事である。

例えば―12ハロン以上の一流レースで好成績を残した種牡馬の産駒にはマイラーも出ればステイヤーも出ること、また抜群のスピードを誇る種牡馬からステイヤーも出ること―これらについては誰もがすでに認知している事実であるが、これらの諸結果の《何故》を究明する確実な足がかりとなる揺るぎない基準を提供するのが、これから展開される解説の最大の目標である。

具体的な馬の名を挙げて、この解説の目標を指摘すれば、

昭和58年度の日本の皐月賞、日本ダービーを制したミスターシービーの持久力の限界、この馬の能力の実体、歴代のダービー馬と比較して、どの程度の馬なのか、

あるいはまた、

ダービーに勝てたのは相手が弱すぎたのではないかどうか

等を、それぞれの根源的原因を明示する事によって的確に把握できる基準を提供するになる。

また、この稿の中に引用される馬たちの中には、欧州の一流レースを勝った馬を多数とりあげているのは、これらの馬たちが高額な登録料を払い、しかもそれ相応の高素質な馬を相手に戦ってきた馬たちで、その上抜群の競走成績を残してきたからだ。

しかしながら、この稿の中で行われる評論では、83年度のイギリス・ダービーを制したTeenosoティーノソーという馬がダービーを制したからといって無条件にすばらしい馬だ――などという不見識な評価はしない。
この馬が勝てたのは

前日の雨のため馬場が極悪化し、このことが血統内においてBallymoss バリモスという重戦車のような強力なスタミナ的勢力に支えられ(ており*)、この馬にとって願ってもない好条件に恵まれたこと、
またこの馬がダービー馬になれた最大の理由が(他の出走馬の能力評価を念入りに検討した結果)たまたま低素質馬ばかりであったこと、
更にまたこの馬自身の血統構成の特徴を明らかにして古今の名馬と比較した上で具体的にその弱点を指摘して《一流馬》としての血統構成とは程遠い事実

を明らかにする。
この指摘を実証したのは、3週間後に行われたアイルランド・ダービーだが、この馬は仏ダービー馬Caerleonカーリアンとともにノーザンダンサー産駒Shareef Dancerシャリーフダンサーに4 1/2馬身の差で完敗し、更に7月23日に行われた英国最大のレース、キングジョージ6・クインエリザベスSには良馬場では到底勝ち目なしとして出走を回避した(優勝馬は昨年度の英オークス馬Time Chater タイムチャーター、牝5才)。

そして、《世界的な一流馬とは、極悪馬場とか、他の主力馬が不調のときとか、あるいはたまたま相手が高素質ではないという特殊な条件に恵まれなければ勝てないような馬ではなく、如何なる条件下にあっても、強敵を相手にして抜群の好成績を残し得る馬たちだけである。それだけではない、その馬の血統構成の血の仕組みが一流馬として相応しいものでなければならない。》と締めくくられる。

従って、この稿の末尾第6章には一流馬になるための血統構成上の血の仕組みの諸条件が、万人ともに容認するであろう世界の超一流馬、あるいは一流馬――

Tantieme タンティエム(1947、凱旋門賞2回)、Ribot リボー(1952、凱旋門賞2回)、
Sea Bird シーバード(1962、英ダービー、凱旋門賞)、Nijinsky ニジンスキー(1967、英三冠馬)、
Sassafras ササフラ(1967、仏セントレジャー、凱旋門賞ではNijinskyを破る)、
Mill Reef ミルリーフ(1968、英ダービー、凱旋門賞)、Secretariat セクレタリアト(1970、米三冠馬)、
Alleged アレジド(1974、凱旋門賞2回)、Spectacular Bid スペクタキュラービッド(1976、1980年度の米年度代表馬、10ハロンまでは世界最強との定評)、
Golden Fleece ゴールデンフリース(1979、英ダービー馬、邦貨にして約90億円のシンジケートを組まれた馬)、
Conquistador Cielo コンキスタドールシエロ(1979、ベルモントS馬、約98億円でシンジケートを組まれる。この馬の馬名は大空の征服者との事。)

等の名馬たち、および1983年度のアイルランド・ダービー馬Shareef Dancer シャリーフダンサー(1980)等これら古今の世界的な優駿の血統構成との比較で論じられる事になる。

サラブレッドの能力評価の判断基準を確保するためには、最低限度次に示す条項に精通していなければならない。


第1章 ≪走る馬≫となるための不動の鉄則
―'83年11月28日―

競走馬が優駿となるための最も重要で、しかももっとも基本的な条件は、まず第一に父となる種牡馬の血と母となる繁殖牝馬の血がぴたりと合っていなければならないことである。これは洋の東西を問わず微動だもしない、不動の法則である。

繁殖牝馬に世界的な一流馬の種牡馬あるいは流行の種牡馬を交配すれば、それなりに優秀な産駒が得られるなどと錯覚することは大変な誤解である。例えばノーザンダンサーを、あるいはニジンスキーを、ヨーロッパ系の血だけを持つ牝馬に交配しても、その産駒が競走馬として成功する確率は百分の一にも満たないこと、またそれと同様にアメリカ系の血とヨーロッパ系の血を半々に持っている牝馬に交配しても、その牝馬の血の中にノーザンダンサーが、あるいはニジンスキーが求める血がなかったら、産駒が競走馬として成功する確率はまちがいなく零になるのだ。その原因は一言でいえば父の血と母の血が合わなかったからだ。


さて、この 《血が合う》 ということはどういうことか。
既に19世紀の中頃に Blood Nicks(ブラッド・ニックス、血の相性)と称して 、《どの種牡馬の牝馬にはどの種牡馬を交配すれば、比較的よく走る馬が出る》 という一つの優駿生産の方式が生産界で盛んに行われるようになった。

例えば、Wenlock ウェンロック牝馬にはIsonomy アイソノミーの血が合うとして、英ダービー馬Isinglas アイシングラスが生まれた。


父 : Isonomy 母父 : Wenlock

Isonomy

1875 鹿

Sterling

1868 鹿

Oxford

Birdcatcher

Whisper

Flatcatcher

Isola Bella

1868

Stockwell

The Baron

Isoline

Ethelbert

----

Wenlock

1869 鹿

Lord Clifden

Newminster

Mineral

Rataplan

----

???

???

???

???

Isinglass 1890 牡 (英ダービー馬)

Isonomy

1875 鹿

Sterling

1868 鹿

Oxford Birdcatcher
Whisper Flatcatcher

Isola Bella

1868

Stockwell The Baron
Isoline Ethelbert

Dead Lock

1878

Wenlock

1869 鹿

Lord Clifden Newminster
Mineral Rataplan

Malpractice

1864

Chevalier d'Industrie Orlando
The Dutchman's Daughter The Flying Dutchman

第2例はHermit ハーミット牝馬とIsonomy アイソノミーとのニックスだが、
4番目の血統表はフェデリコ・テシオ氏(1869~1953、Nearco ネアルコ(14戦14勝)、およびRibot リボー(16戦16勝)の生産者としてよく知られている、)の最初の生産馬――伊ダービー馬のGuido Reni ギドレニの生産は第2例の応用であった。

父 : Isonomy 母父 : Hermit

Isonomy

1875 鹿

Sterling

1868 鹿

Oxford

Birdcatcher

Whisper

Flatcatcher

Isola Bella

1868

Stockwell

The Baron

Isoline

Ethelbert

----

Hermit

1864

Newminster

Touchstone

Seclusion

Tadmor

----

???

???

???

???

Gallinule 1884 牡 (英国の名種牡馬)

Isonomy

1875 鹿

Sterling

1868 鹿

Oxford Birdcatcher
Whisper Flatcatcher

Isola Bella

1868

Stockwell The Baron
Isoline Ethelbert

Moorhen

1873

Hermit

1864

Newminster Touchstone
Seclusion Tadmor

Sister to Ryshworth

1865 鹿

Skirmisher Voltigeur
Vertumna Stockwell

Arcadia 1887 牝 (Cylleneの母)

Isonomy

1875 鹿

Sterling

1868 鹿

Oxford Birdcatcher
Whisper Flatcatcher

Isola Bella

1868

Stockwell The Baron
Isoline Ethelbert

Distant Shore

1880

Hermit

1864

Newminster Touchstone
Seclusion Tadmor

Land's End

1873

Trumpeter Orlando
Faraway Young Melbourne

Guido Reni 1908 牡 (伊ダービー馬)

Melanion

1886 鹿

Hermit

1864

Newminster Touchstone
Seclusion Tadmor

Atalanta [F8-h]

1878 黒鹿

Galopin Vedette
Feronia [F8-d] Thormanby

Jenny Hampton

1898

Royal Hampton

1882 鹿

Hampton Lord Clifden
Princess King Tom

Domiduca

1888 黒鹿

Isonomy Sterling
Jenny Spinner Kaiser


Hampton ハンプトンGalopin ガロピンのニックスだが、この類例はおびただしい数にのぼる。

Ayrshire 1885 牡 鹿 (英ダービー馬)

Hampton

1872 鹿

Lord Clifden

1860 鹿

Newminster Touchstone
The Slave Melbourne

Lady Langden

1868 黒鹿

Kettledrum Rataplan
Haricot Lanercost

Atalanta [F8-h]

1878 黒鹿

Galopin

1872 鹿

Vedette Voltigeur
Flying Duchess The Flying Dutchman

Feronia [F8-d]

1868 鹿

Thormanby Windhound
Woodbine [F8-c] Stockwell

Bayardo 1906 牡 鹿 (名種牡馬)

Bay Ronald

1893 鹿

Hampton

1872 鹿

Lord Clifden Newminster
Lady Langden Kettledrum

Black Duchess

1886 黒鹿

Galliard Galopin
Black Corrie [F3-o] Sterling

Galicia

1898 黒鹿

Galopin

1872 鹿

Vedette Voltigeur
Flying Duchess The Flying Dutchman

Isoletta

1891 鹿

Isonomy Sterling
Lady Muncaster Muncaster

Macoroni マカロニ牝馬にBend Or ベンドアを交配して、英ダービー馬Ormondo オーモンド(1883)が生産されたが、この型の交配は大成功して数十頭の優駿を輩出させたが、この数例を紹介しておこう。

Ormonde 1883 牡 鹿 (英ダービー馬)

Bend Or

1877

Doncaster

1870

Stockwell The Baron
Marigold Teddington

Rouge Rose [F1-k]

1865

Thormanby Windhound
Ellen Horne [F1-j] Redshank

Lily Agnes [F16-h]

1871 鹿

Macaroni

1860 鹿

Sweetmeat Gladiator
Jocose Pantaloon

Polly Agnes [F16-g]

1865 黒鹿

The Cure Physician
Miss Agnes [F16-a] Birdcatcher
――オーモンドの全妹のOrnament オーナメント(牝・1887)はSceptre セプター(英ダービー馬Relkoの7代母)の母となる。
Doremi ドレミ(牝・1894)はTeddy テディの祖母となる。
Kendal ケンダル(1883)は英三冠馬Galtee More ガルテモア(1894)の父となる。
Orviet オルビスト(1888)とLaveno ラベーノ(1892)は種牡馬となる。

以上、ほんの一部の類例として、ニックスによって生産された優駿を紹介したが、これらはある1頭のよく走る馬の交配形態を次の生産でコピーしたものだが、一世紀前のすぐれた競馬人が血の相性のいい交配―――よく走る馬が出る交配として採用したものであった。
20世紀に入っても、このニックスによる交配形態は広く採用され、また現在に至るまで欧米では今なお採用されている。

それらのうちで最も広く知れわたっているのは、Nasrullah ナスルーラPrincequillo プリンスキロのニックスで、このニックスから、Mill Reef ミルリーフ(1968)とSecretariat セクレタリアト(1970)という、2頭の超一流馬が出るに至ったが、さてこのニックスとはそもそもどういうことなのか、という問題が、《血が合う》ということに他ならないのだ。

とはいうものの、こんなことが解っても、ニックス何ぞや、あるいは《血が合う》ということはどういうことかは全く正体不明のままなのである。

さて、このニックスについての解説――具体例に従えばNasrullah ナスルーラPrincequillo プリンスキロとのニックスの全容を解明するためには、まず

第1にサラブレッドの競走能力の遺伝の方法
第2に各世代にある影響力を持っている特定の祖先がどのような経路で影響力を発揮するか(第2章・第3章)、
第3にこれら影響力を持っている祖先の血が実際に有効的に影響するのは何代目までか
――言いかえるなら何代目まで遡って調査しなければならないか(第4章)。

このように、第1、第2、第3の問題を是が非でも解明しておかなければならないのである。

第4章までの道程を確実に辿ることは必ずしも容易ではないだろう。
何となれば、時には無味乾燥な理論のトンネルを通りぬけなければならなくなったり、またサラブレッドの血統に潜んでいる一つの事実を確認し、更に次の事実を積み重ね、またその上に積み重ねて整理して、これらの集収された事実を因果関係のタテの糸とヨコの糸でしっかり結びつけ、やがてこれらが一つの理論的体系としてまとまるまで辛抱づよく、集める仕事、整理する仕事、タテとヨコのバランスを保ってそれらを相互に結びつける仕事に精魂を打ちこまなければならないからである。

これら第4章までに盛り込まれた基礎理論が、サラブレッドの能力評価において、またサラブレッド生産において不可欠なものであり、これらの基礎理論を現実問題に適用する際、自由自在にあやつることができ、しかも内容豊かな理論とするためには、第5章、第6章におい検討される《古今の名馬の血統研究》が重要な意味を持つ。
ともあれ、まず第1の問題からはじめよう。

競走能力の遺伝の法則
サラブレッドの競走能力の遺伝は、父の血統と母の血統に、それぞれ存在する同一の祖先によってのみ行われる。従って、これらの同一の祖先こそサラブレッドの競走能力を遺伝させる遺伝子なのである。

この遺伝学上の原則を証明するためには、まず第一に近親交配の場合あるいは異系交配の場合に分けて、幾多の例証によって実証した上で(但し、この実証だけでこの雑誌の頁を少なくとも30ページを必要とするためここでは割愛して)、第2章、第3章、第4章、第5章によって上記の原則の内容を具体的に解明し、その原則の附帯条件を洩れなく実証してゆくことにしよう。
また、上記の原則は、これから展開される解説の中で引用される幾多の例証の中に数多く現れるから、その都度逐一解説していくことにしよう。
従ってここでは、とりあえず上記の命題をそのまま原則として受け入れて頂きたい。

さて、Mill Reef ミルリーフSecretariat セクレタリアトという2頭の超一流馬を生んだ絶妙なニックスとして知られている、Nasrullah ナスルーラとPrincequillo プリンスキロのニックスの実体―――

そのそれぞれの血統内にあって、2つの血を結びつけると同時に、競走能力の遺伝の役目を果たす同一の祖先(以後、これをクロス馬と呼ぶ)がどのように配置されているか、
また、これらのクロス馬が何頭ぐらいいるか、

を次の表によってじっくり確認して頂きたい。
また、Nasrullah ナスルーラPrincequillo プリンスキロも、上記2頭の超一流馬の血統内にあっては2代目に位置するから、次に示した表は3代目から8代目までに存在する同一の祖先(クロス馬)をすべて網羅したものである。

→ ナスルーラとプリンスキロの血統

第4章の末尾に示すMill Reef ミルリーフの血統構成の分析表が明らかにすることだが、クロス馬の集計表に示した II と IV の2頭の牝馬の血統が加わると、クロス馬の数および配置の様相が一変する。
また、第4章で解説される血統構成内に存在する血統の弱点と欠陥がどういうもので、それが能力の低下を引き起す元兇となる事実が判明する。

こうした事実がわかってくると、Nasrullah ナスルーラPrincequillo プリンスキロのニックスが絶妙なニックスではなく、きわめて不完全なニックスであることもわかるのである。

しかしながら、Mill Reef ミルリーフSecretariat セクレタリアトのような超一流馬が出たのは、 II と IV に該当する牝馬の血統構成馬の血によって、上記の不完全なニックスが充分に補修されたからなのだ。

また、第4章 ではこのような不完全なニックスではなく、ほぼ完成されたニックスとして、
1985年になると新馬が登場する2頭の優秀な種牡馬――ノノアルコ Nonoalco、およびウォロー Wollow(昭和56年秋、中央競馬会が輸入した種牡馬)とBuckpasser バックパサー牝馬、およびヒンドスタン Hindstan牝馬とのそれぞれのニックスが紹介される。

さて今の段階で結論できることは、2頭の馬のニックス(血の相性)とは、あるいは《血が合う》ということは、2頭の馬のそれぞれの血統内に、8代まで遡るうちに充分な数のクロス馬が存在して、これらのクロス馬の配置が5代目の血統構成馬の血統内に洩れなく配置されていれば、それはきわめて有効なニックス、あるいは《血が合う》と断定できることだ。


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