2/21(日)
新潟に行ってきました
山梨の姉夫婦・姉の娘(大学4年)・母・そして私の5人で。
私は始発に乗り入間市駅での待ち合わせ。姉達には車で
中央道→圏央道→途中下車(入間市駅)→圏央道→関越と
私を乗せる為に、面倒をかけてしまったな…
朝6時台の赤城高原サービスエリア
朝の空気は冷たいね(≧ω≦)
トンネルを抜けると
壁のように雪がたくさんあった。雪国…
長岡のひとつ手前の堀ノ内で降り 親戚の家へ
待っていてくれたのは
私の父のすぐ下の弟の奥さんのハルコさん。
叔父が入院し、
姉さん(母)に会いたいと言っていてらしい
私が小さい時、ふたりはあまり仲良くなかった。どちらかと言うと母の方が拒否してたな。
それが数年振りの再開で、ハルコさんと母は抱きあって喜んでいた
昔のことは忘れていた
「逢いたかったよ-」とハルコさん。
叔父さんが入院して寂しく、心細かったのだろう…
そして私とは13年振りの再開。
父の葬儀以来だった
「おぉ~はる〇!来てくれたの-」と…
ハルコさんには実の子供ができず、長男である父の娘の次女(私)を養女として育てたいと言う思いがあった。
私の姉がヤキモキをやくほどに、私を可愛がってくれてたけど
でもその思いは実現しないため、施設から子供を引き取り、5人も育てあげた人なんです
当時の私にとっては複雑な思いもあり、親戚にもあまりよく思われず、ハルコさんと私が会うことも周りからよく思われなかった
20年前までは東京の、今私の住む家の近くに住んでいたのに、私ひとりで遊びに行くこともなかった
近くのスーパーでグアム・サイパン旅行が当選し、自分は行かないからと私に譲ってくれたことがあった…
連絡もらった時は、偶然私は初海外旅行中でサイパンに行ってた
帰ってからその話を聞き、
私の両親からは「行くも行かぬも私の判断に任せる」と言っていたが「行かない」と言うと思ってたみたい。
帰国してわずか1ケ月以内でまた海外旅行だなんて…だよね
でも私の答えは「行く」だった。
私だけに声をかけてくれて、私が行かなければ、 せっかく当選した旅行を拒否するって言ってたんだ
「行きます」と言ったとき
すごく喜んでくれた
「よかった~」とその言葉は忘れない
その旅行の時に会って
父の葬儀で会って
そして今回
その間約20年
ろくに話をしたことがないのに
「おぉ~はる〇も来てくれたの…」
「うちの養女にしたかった子が来てくれた」
とまた喜んでくれた
姉夫婦は何度も新潟に顔出しているが、私は小さい時に行ったきり行ったことがなかったから。
大好きなハルコさんなのに、周りの目を気にし、こばんでいたのかもしれない…
今思うとそのことは後悔している
ハルコさん
漢字で【温子】と書く
とても明るく優しい温かな人
今も変わってなかった
つづく





