偽りの構図(説教に関するetc) | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)

「説教:目下の者に対して、教え導くために言い聞かせることや、堅苦しい教訓をいう」(ウィキペディア)

 多くの場合、「説教」という言葉は上下関係を含意する。たとえば親が子に説教する、先生が生徒に説教するなど。ところが、ヲタがアイドルに苦言を呈すことも「説教」と呼ばれる。僕はここに違和感がある。アイドルとヲタの関係はむしろ政治家と選挙民の関係に似ていると思うからだ。

 政治家は必ずしも選挙民の言うことを聞く必要はないけれど、それを無視すれば支持を失う。ある一方の考えを重視すれば、また別の考えを持つ人々の支持を失う。信念を持って行動することも出来るけれど、人々の支持がついてこなければ意味がない。不祥事を犯せば、たとえ解任されずとも居場所を失って辞めざるを得なくなる。

 そうした微妙なバランスの上に立つのが政治家だ。だからこそ目安箱の昔から民草の意見に耳を傾けてきた。そこでは民の言葉は「陳情」という形で現れる。「陳情」は「目上の人に、実情や心情を述べること」(デジタル大辞泉)だから、説教とはむしろ上下関係が反転している。
 

 アイドルに対するヲタの「説教」も、たとえその言葉が上から目線のものであっても、実際の上下関係(ヲタにはアイドルに何かを強制する力はない)に目を向ければ、その実態は「陳情」と変わらない。ところが、アイドルはあえて自らを未熟な弱者のポジションに置き(さらには多くのヲタもその構図にコミットし)、ヲタの「陳情」を「説教」と言い換えることで、その言葉を封じてきた。

 

 こうした偽りの構図が本質から目を背けさせる。別にアイドルがヲタの「陳情」をすべて聞く必要はないし、中には有害なものもある(それに対してはもちろん「そんなことを言うな」と言っても良い)だろうけれど、それを「説教」と呼ぶことで言葉を封じてしまうのであれば、そこにあるのは裸の王様への道だ。