推すことの不可能性について | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)

推すことの不可能性について

 

 文句を言うようになったら去る。最初から決めていたこと。

 予定された結末ではあるけれど、僕にとって「推し」って何なのかと改めて考える。全日程確保していたお話会も結局はすべて干してしまった。別に最初から干すつもりで注文したわけじゃないんだけどね。なんだろうな…我ながら歪だなと思える。

 「推し」なんて考えずに、欲しいものだけ買い、したいことだけする。その方がずっとシンプルで分かりやすい。目を曇らせるのは、この世界に蔓延する「お願い」という行為だ。「推し」のために自分には必要のないものを買い、自分には必要のないことをする。

 それが曲がりなりにも成立していたのは、アイドルがヲタの夢を背負っていたように思えたから。アイドルがヲタの夢を守るために戦うから、ヲタもアイドルのために働く。この世界はノブレス・オブリージュ(高貴さは義務を強制する)のような原則で動いていたのだと思う。

 でも個人主義と人権の荒波の中でアイドルの義務は消え去り、それと共に高貴さも消えた。「自分らしくマイペースに」「自分の人生は自分で決める」。自分自分自分…そこにはヲタの夢を背負う余地はない。もう「恋愛禁止」の建前も消えた。

 そうして解放されたのはアイドルだけではなく、ヲタも一緒だ。もはやアイドルのために何かをする必要はなくなった。アイドルは自分のために働き、ヲタも自分のために働く。自分が欲しいものは買うし、欲しくないものは買わない。


 アイドルのために何かをして「ペイ出来てる」と思える人は別にそれで良いさ。でも僕にはもう、推したいアイドルは居ない。なんでアイドルの「お願い」を聞かなきゃいけないのか、僕にはもうその理由が分からない。