境界線を越えて(YouTubeと48)その②:踊ってみた | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)

「境界線を越えて(YouTubeと48)その②:踊ってみた」

 

「我が名はレギオン。我々は、大勢であるがゆえに」

(マルコ福音書5章)


 遅すぎるYouTube参戦でも、やらないよりはやった方がもちろんいい。企画もそれぞれが勝手に考えてやれば良い。面白きゃ見るし、面白くなきゃ見ないだろう。

 僕としては、少し発想を変えたい。YouTuberと言ったら再生回数を上げて収益化みたいなところがあるけれど、でもAKBはファンを増やすのが目的なわけで、そこを目指す必要はない。そもそもYouTubeもいまや「レッドオーシャン」、よっぽどじゃないと先行YouTuberには勝てない。

 では、AKBの武器は何か。それは簡単だ。人数の多さ。それを活かす。AKBって、そもそもそういうもんでしょ? ひとりひとりの売上は小さくても、塵も積もれば山となり、そうしてミリオンに到達する。それがAKBだ。YouTubeでも同じだ。ひとつのチャンネルの再生回数じゃなく、メンバー全員にチャンネルを持たせて、その全体で勝負する。選ばれた少数で勝負するんじゃなくて、全員で、数の多さで勝負する。

 そういうフォーマットではじめて出来ることって沢山あると思う。たとえば、AKBでやったら面白いかもと思っているのが「踊ってみた動画」。

 いや…それこそ今さら過ぎると思うかもしれない。日本ではほとんど下火になり、それメインでやっているのはわずかなスター踊り手さんくらい、あとは中国のbilibiliが支えているような状態。曲の趨勢にも傾向があって、bilibiliでもかつてはAKB系の曲をやっていた人が結構いる。それがいつしかボカロ系とアニメ系に駆逐され、今じゃみんなK-POPだ。アンテナを張り巡らせている海外のヲタ系女子の動向が手に取るように分かる。

 でもだからこそ、今やることに意味がある。件の「映像センター」でも、田野ちゃんが愛川こずえさんとコラボして「千本桜」や「ルカルカ☆ナイトフィーバー」を踊っていたくらいだし、もともと「踊ってみた」とAKBは近いところにあった筈なんだ。2000年代末から2010年代前半が全盛期だったという点も共通している。

 

 近年でも、48が一昨年やった「NO WAY MAN」のダンスオーディション、あれは結構面白かった。同じ曲を同じ振り付けでやっても、いやだからこそ、それぞれの個性が出るんだよね。シングル出すたびにああいうことをやっても面白いかなと。ただ「NO WAY MAN」の場合、振り付けがハードすぎて誰でも気軽にやるってわけにはいかなかった。だから、「恋チュン」方式で簡単にしたほうがいい。

 たとえば、シングルのカップリングで、作曲をボカロ系の作曲家さん=ボカロPにお願いして、「踊ってみた」の踊り手さんに振り付けを考えてもらう。今だったら、「映像センター」でもお世話になったまなこ(manaco)さんとかが良いな。ウチにもよこちゃんとかあおいたんとか振り付けが出来るメンバーは居るけれど、「踊ってみた」をやるからには、その文化に敬意を払う意味でもそっちの人にお願いした方がいい。その曲を海外含めて48グループ数百人で、(それぞれのチャンネルを持たせて)個人で踊ってみる。

 

 そうするときっと、一人だけでやるのとはまた別のものが生まれる。それだけの数がいればひとつの文化的現象を起こせる筈なんだ。端的に言うと、「踊ってみた」という文化自体をリブートできる。その上、それだけの数で同時に「踊ってみた」をやると、おそらく境界線が消失していく。たとえば、他の踊り手さんがその曲で「踊ってみた」を上げてくれると、大量のメンバー動画のなかで誰が本当に48メンバーか分からなくなっていく。かつての「恋チュン」現象と違うのはまさにその点、メンバー動画の中に他の踊り手さんの動画が紛れてしまうという点だ。

 

 だから、個人チャンネルも「AKB」とか「48」って肩書きを外してしまう方が良い。みんなが一個人として「踊ってみた」動画を上げてみる。そうすると、誰でも動画を上げるだけで(メンバー動画に紛れて)「私もAKB」とか逆に「私も踊り手」みたいな感じにちょっとなる。境界線が消失して「あなたも私もAKB」「私もあなたも踊り手」みたいな。そういう局面が出てくると面白い。みんな身内になる。AKBが(メンバーや僕らヲタだけでなく)彼女たち踊り手のものになるんだ。そうやって、「踊ってみた」という文化圏をまるごと味方につける。そうした時にはじめて、AKBに新たな色が生まれていく。

 

 それって、「AKBが〇〇をします!」みたいな発想とは真逆になるけれど、僕としては、そういう風にAKBという肩書きに何か特別な価値を与えて、その人たちがこんなことをするから面白い…という発想よりも、むしろ考え方を変えて、AKBという肩書きを外して境界線を消失させてしまう方が面白い現象が起こると思っている。

 思っているんだが…まあ無理だろうなあ…

 

 

manaco / 向日葵 (踊ってみた short ver.)