1.高解像度の時代
AKBとK-POPの関係は、どこかニコ動とYouTubeの関係に似ている。
かつて、時代はニコ動とAKBのものだった。ニコ動と言えば、画面にオーバーラップされるコメントが特徴だ。映像はそれを見てワイワイと話すための場として機能する。今思えば、カクカクとした低解像度の画質はそれにふさわしかった。そこには僕らが入り込むための隙間があった。
AKBはニコ動と似ていた。荒削りで未完成なパフォーマンスは、ファンがそこにやいのやいの言うことで成立していた。今となってはすでに懐かしい「ファンが育てるアイドル」というセリフも、当時のAKBにはふさわしかった。
いまはむしろ高解像度の時代だ。Youtubeには4Kどころか8K動画でさえ転がっている。そんな高解像度の画面にコメントをオーバラップさせるのは、それを傷つけることでしかない。僕らはただただ、その隙間のない映像に圧倒される。そんなYoutubeには、完成度の高いK-POPこそがふさわしい。
そして、時代は再びK-POPのものになった。洗練された完成度の高いパフォーマンス。僕らはただただ、動画を眺めてそのパフォーマンスに圧倒される一方だ。そこにやいのやいのと言うことはできない。「プロ」相手にいったい何を言うことができるだろう。
2.神という呪縛
たわむれに使ってしまった「神」という言葉に、僕らは呪われている。
遥か高みにいる手の届かない存在。それが「神」だ。誰も「神7」には届かない。そのように見えてしまう。
でも、当時の感覚で言って、そんなに特別な子たちだったか…?
僕自身は優子を追いかけてAKBに来たから、優子は特別だったと思いたいところもある。でもたとえば、デビュー当時のライバルだったアイドリング!!!に比べて、AKBメンバーが個々のタレント性で圧倒していたか…と言えばそれはおそらくそうではない。むしろ各事務所の精鋭が揃った相手の方が上回っていた。
別に、AKBメンバーや彼女たちの成したことを否定したいわけじゃない。そうじゃなくて、AKBの吸引力はむしろ、一見どこにでも居そうな「普通の子」が特別なことを成し遂げること(=物語)にあったんじゃないか…ということ。それがあの訳のわからない熱量に結びついていた。
そこに「神」なんて称号をつけたことで、彼女たちはいつのまにやら特別な存在になりおおせてしまった。僕らはいまだに「神」という言葉に縛られている。だからこそ、居もしない「救世主」なんてものを求めてしまう。
なんとなく記事にはしなかったのだけれど…全ツの千葉(追加公演)。あそこで僕が感じたのは、今のAKBはパフォーマンスの質とか個々のタレント性で言ったら、全盛期のAKBに勝るとも劣らない、どころかド初期と比べたら普通に勝ってさえいるんじゃないか…ってこと。彼女たちは、じつはすでに「神」を超えてしまっているんだ。
こんなことを言ったら、メンバーは「そんなことない!」って断固否定するかも知れない。そうした想いや尊敬の念も分からなくはないけれど、でも事態はもっと深刻だと思う。パフォーマンスとかタレント性で劣っているなら話は単純だ、上回ればいい。でも、すでに上回っているのに、吸引力では全然劣っているとしたら? いったいどうすれば良いんだろう。
3.
だからこれは、ニコ動は今後どうすべきか? という問いに似ている。いまさらYoutubeのあとを追いかけたって、勝てるわけはない。ニコ動の画質もかつてよりは上がっているけれど、Youtubeには遥か先を行かれている。それじゃあ、また画質を落として…ってわけにもいかない。高解像度の映像に慣れたファンはもう低解像度の映像には戻ってこない。
気がつけばAKBもそれなりに高解像度になって、ファンがやいのやいの言い辛くなってしまった。いまや僕らはただの「説教厨」でしかない。かつてはそこに吸引力があった筈なのに、もうそういう時代じゃないんだ。じゃあ、僕らはこれからいったいどうすれば良いんだろう…? ずっと時代の先端を走っていた筈なのに、いつの間にか最後尾に着いている。
僕はただ、目の前で踊るゆいりーやずっきーの光を見ている。この子たちは今もこんなに輝いているのに、でもなぜだかその光は遠くまで届かない。