つながり | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


つながり

1.人間関係
 いつだか、後輩に「推し変した」って話をした。返ってきた反応は「ゲームも辞めちゃったんですか…?」

 そういや、P4U(SKEのソシャゲ)でくま推しクラブのキャプテンやってるって話をした気もする。「ゲームも辞めちゃったんですか…?」という彼女の心配は、なんだか妙にリアルなものに感じられた。彼女にとって「推し変」というのは、単に個人の問題ではなく、そうした人間関係の問題でもある、ということ。

 人間関係は、人間同士の間を離れがたくする。いわば接着剤のようなもの。48を駆動する力もまた、そうした人間関係の部分が大きい。そこにはもちろん、ヲタ同士の人間関係だけではなく、ヲタとメンバーの人間関係も含まれるだろう。

 握手会やSNS、SR…メンバーはヲタと共に時間を過ごし、コミニュケーションを図り、やがて認知していく。そうして築かれた絆はちょっとやそっとじゃ揺らがない強さを持つ。認知されたヲタは、まるで友達や家族のように、「どんな私」も受け入れてくれるだろう。

 僕はたぶん、それが嫌なんだ。そうしたもので自分の目を曇らせたくない。他にも理由はあるけれど、結局、握手会に行ったのも一度きり。SNSやSRを見ても、「いいね」や星を投げるだけでコメントはしない(P4Uのクラブも「原則無言」で推しもバラバラ、みんな勝手にやってるクラブだし)。

 5年推したくまも、きっと最後まで僕の存在は知らなかった。でもそれで良いんだと思う。そうじゃなきゃ悲しすぎる。髪染めただけで「推し変」なんて芸当は、逆に言えば、距離を保っているからこそ出来てしまうことでもある。

 会いたいという気持ちがないわけじゃない。今ならたとえば、公演行った翌日にはすでに「ゆいりーに会いたい」なんて思うし、なーみんが握手会の飾り付けをしているのを見れば、「健気だなあ…」って心が暖かくなる。それでも、握手会に行こうとはならないんだ。

 じゃあいったい何を求めて48を応援しているのか。そう思われても仕方ない。

 それはたとえば…直前までSRをやっていたゆみりんが、0:00になった瞬間に2周年のtwitterを上げる、待ち構えていた僕のスマホに新着マークがつく。そんな時に感じられるもの…。そして何より、劇場でゆいりーと目が合った瞬間に感じられたもの。その瞬間にしか存在しなかったもの…同じ時を生きているという感覚。

 そこに言葉はいらない。手は触れなくてもいい。僕はたぶん、48ヲタとしては異端なんだろう。

2.つながり
 NGT関連のことがあって、今まで以上に握手会に対して批判が寄せられている。考えてみれば、僕自身はそれが無くなったってなんの問題もない。でも、そうした批判を見るたびにムカッとしてしまう。それって、いったいなぜなんだろう。

 もちろん、48にとっては握手会が生命線だという事実がある。これを失ってしまったら、48自体が成り立たなくなる。でも、それ以前に、僕には疑問なんだ。そうした親近さは果たしてそれ自体悪いことなのか?

 たとえばSNSでトラブルがあったとして、LineやTwitterというプラットフォーム自体を規制しようという動きにはならない筈だ。SNSに限らず、交流を目的としたイベントなんて山ほどあるだろう。オフ会とか街コンとか修学旅行とか。

 親近さを加速させるものという点では(引いてはそれに伴うリスクも)みな同じ筈なのに、彼らはなぜだかアイドルの握手会のみを標的にする。それは単に、想像力の欠如と偏見がなせるわざに過ぎない。

 「つながり」というそれ自体は決して悪いものではない。人と人のつながりには様々な形があって、その中には素晴らしいものもあれば、悪意に満ちたものや不適切なものもあるってだけの話だ。

 NGTは残念ながらその後者に呑み込まれてしまった。コソコソした「私的つながり」なんて、アイドルにとってはもちろんアウトなんだ。そうならないようにするにはどうしたらいいのか。メンバーやスタッフに対する教育も必要だろうし、報告書でも指摘されていた「まとめ出し」の弊害にも向き合う必要があるのかも知れない。

 今回の件は「つながり」という言葉それ自体をネガティブなものにしてしまった。それが悔しい。自分自身がアイドルとのつながりを拒絶しているからこそ、逆にそれ自体は美しいものであって欲しいという想いがある。アイドルとヲタのつながりは、本来もっと美しいものである筈だと、誰にも誇れるものであって欲しいと、そう願っている。


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