「総選挙中止について」
(ある共和主義者の…)
僕には夢があった。
48が宝塚のように社会に根付くこと。Jリーグのように各地域にあって、それぞれがぞれぞれの独自色を持って、お互いルールに則ってフェアに競い合うこと。100年続く文化になること…
そんな夢も、いまはただ砂の城のように削られていく。
開催されない運びになった今年のAKB総選挙。メンバーもこの件に関して色々な言葉を残している。心に沁みるコメントもあれば、そうじゃないコメントもある。脳内お花畑なコメントや軽口コメントを見ると暗澹たる気分になる。プレッシャーや不安、辛かったという心境も、そりゃああったろうから理解できなくはないけれどね。
OGのらぶたん(多田愛佳)が「なんか新しい形で、陽の目を浴びないと悩んでいる子が頑張れる場があるといいね」と言うのはよく分かる。「干され」が勝ち上がっていくための、数少ないルートのひとつが総選挙だった。
「ファンの負担が心苦しかった」という小麟ちゃん(武藤小麟)の言葉も理解はできる。心根の優しいあの子らしいコメントだと思う。
メンバーみんなそれぞれに総選挙に対しての想いがあるだろう。
それでもね…。
違うんだ。違うんだよ。みんなひとつだけ勘違いしている。総選挙はメンバーのためのものじゃない。AKBができる前、総選挙がはじまる前、ファンは無力だった。どれだけ「良いな」と思っても、どれだけ「頑張ってる」と思っても、そのアイドルに運がなかったらそれまでだ。そんなアイドルを僕は何千人と見てきた。ただ見守るしかなかった。
曲やDVDや写真集を買って支えれば良いと思うかも知れない。でも圧倒的なメディアの力の前には僕らの存在は本当にゴミクズみたいなもんだった。そのアイドルにどれだけ素質があっても、権力者に気に入られなければ…TVに出られなければ売れない。それが常識だった。
AKBが出来て、総選挙がはじまって、それは変わった。僕らははじめて、「力」を手に入れた。だからファンにとって総選挙は義務じゃない。これは僕らが勝ち取ったもの。僕らの権利だ。総選挙は僕らのもの、僕らによる、僕らのためのものだ。他の誰のものでもない。
それが、密室会議の決定でこうもたやすく奪われた…ということが口惜しくて悲しくてたまらない。何もできない自分が情けなくてたまらない。
かつて僕が、乃木坂や欅坂に惹かれながらも、48に絶望しながらも、それでも48を離れなかったのは、ここが「僕らの」グループだったからだ。そりゃあもちろん、アイドルファンならみんな心に自分のグループを持っているだろう。坂道ファンだって、ハロプロファンだって、それは同じ筈だ。
だけど、48は、48だけは真の意味で「僕らの」グループだった。それは、ここに「選挙」というシステムが備わっていたからだ。
僕は、自分の投じた票がどういう意味を持っていたかをすべて思い出せる。峯岸みなみや山田菜々や磯原杏華や宮脇咲良や渡辺麻友や村山彩希や岡田奈々や小林亜実や松井玲奈や北川綾巴や熊崎晴香や荒井優希に投じた票に、その時どういう想いを込めていたか。どういうメンバーに勝ち上がって欲しいと思っていたか、どういうグループであって欲しいと願っていたか。
総選挙に投じる票にはそんな想いが…言い換えれば「民意」が込められていた。
たしかに、今は総選挙以外にも「民意」を反映させるシステムはある。SRやゲームのイベント、握手会の完売部数…etc. 総選挙の意義が下がっているのは確かかも知れない。AKBがスタートした時には総選挙なんてなかったわけだし、「また新たに一から始めようよ…」という気分もなくはない。
それでも、総選挙はやっぱり熱量が桁違いだった。そうして生まれたポピュリズムの暴虐なエネルギーこそが、これまでAKBを引っ張ってきたものだったし、またAKBを色付けるものでもあった。総選挙はAKBに似合っていた。いかにもAKBらしかった。
泥にまみれていて、品がなくて、ガサツで、無軌道で、残酷で、悲しくて、それでも信じられないくらいのエネルギーと命の輝きに満ちている。喩えて言うならば、革命後のフランスや宮崎駿の描く大自然。それが僕にとってのAKBだ(「明るく元気」なのがAKB? 冗談じゃない)
いまさらなにを恐れる。
もちろん、今年に関しては、しかたないと思う部分もある。「色々なことの整理、説明ができていない中での開催はもちろんできないので仕方がないと思っています」というさっしー(指原莉乃)の言葉は納得できる。こんなドン底の時期だからこそ、メンバーとファンと運営が一丸となって立て直して乗り越える必要があるのかも知れない。
だけど、選挙がなくなってしまったら…ここが「僕らの」グループでなくなってしまったら、果たしてここに残る意味はあるか?
それが疑問なんだ。
(たしかに公演は好きだけれどさ。こんな状態で果たしていつまで続けられるものか…)