僕たちは目撃者
悲劇を終わりにはしない
「手をつなぎながら公演」観戦記(2/15)
失敗したなあと思う。せっかく東京に行くのだからと、欲を出して徹夜明けで国会図書館にまで足を伸ばした。調べものをしながらすでにもう眠い。欲張ったせいで寝不足だ。
そのあとは早めに劇場に着いて、お目当ての57ちゃんロッカーに荷物を預ける。57はなーみん(浅井七海)のオーディションナンバー。年末の大掃除のさい、彼女自身が使ってくれるよう呼びかけていた。
こうして僕のポケットには、57番ロッカーの鍵。この日、僕がなーみん推しだと示すものは唯一これのみだった。いや…公式グッズのなーみん扇子とかも買ったのだけれど、やっぱ気が引けると言うか。そもそもあの扇子、劇場に持ち込めるのかしら?
それで、BINGOはさ…諦めが肝心だよね←
二十巡目くらい? これまでで一番引きが悪かった。まあ、前回(ミネルヴァ千秋楽)、前々回(アンナ公演)と連続して二巡目だったから…こういう日があるのも仕方ない。
しかし、立ち見3列目は見づらい…。目の前を埋める人の林…僕はなんとなく「肉林」という言葉を思い起こしていた。両目での視野は確保できず、「肉林」の狭間から片目でかろうじて宴を覗き見る。
うーん…その喩えは流石にどうなんだ←
1.なぁちゃん&なーみん
序盤、なぁちゃん(岡田奈々)がよく見える。名実ともにAKBを引っ張る存在となった彼女。劇場では初めて見る。
ビックリしたのは、いきなり視線をくれたように思えたこと。もちろんこっちは「肉林」だから本当はどうか分からない。遠くの席はこういう「幸福な勘違い」が起こりやすい。この辺を見てくれただけで目が合ったように思える。それだけで、BINGOで凹んでいた気持ちに僅かな光が差し込む。
なんとなく、なぁちゃんはそういうことを色々分かった上でやっているような気がした。遠くまで目が届く人は、それだけ手の届く範囲も広い。
パフォーマンス面でも彼女はやっぱり目立つ。小さな身体にしなやかさとキレとが同居している。駆ける姿の軽やかさは、まるでミュージカル映画だった。なにより姿勢がいい。所作が美しいというかな…身体の隅々にまで神経が行き届いているように見えた。
この日の「マンゴーNo.2」の掛け声はなーみん。センター方向ギリギリ視野を確保して見ることが出来た。序盤、なーみんはなぁちゃんと近い位置にいる。自然、比べてしまう。「なーみん良かった」というのも嘘ではないし、所作などにまだ差があると思うのも嘘ではない。成長するためには、そういう先輩が同じチームにいるのは大きいかも知れない。
2.はっつ
アンダーセンターとして、はっつ(歌田初夏)も登場。じつのところ、僕が見た「手つな」は毎回はっつセンターだ。ただ、僕に「はっつブーム」が訪れてから見るのは…つまりちゃんと意識して見るのはこれが初めてだ。好きな子が増えると、その分だけ公演も楽しくなる。
SRなどでの彼女の印象は、面白い子。もっと言えば「変人」だ(←)。その「変さ」が僕にはツボった。ところが、ステージで見る彼女は、めっちゃアイドルだった。顔が小さいし、身体も華奢で、変人どころか「可憐」という言葉が相応しい。ギャップ萌えというヤツだなこれは。
ただ、MCではもっと自分を出しても良いのかな…と。なんとなくだけれど、人見知りを発揮しているように見えた。ステージでの可憐さに加えて、MCで普段の面白さが出れば鬼に金棒なのに。色々とアイデアを持っている子だから、本来ならMCのプランを任せても良いくらいだと思う。
3.ゆいりー&なーみん
「手つな」を下手の立ち見から見るのは2度目。ここから見るユニット・パートは地獄の時間だ。なんせ、ほとんどセンターエリアで展開されるから、柱でほとんど見えない。そりゃあ、SKE劇場には柱ないもんなあ…(※もともと「手つな」はSKEの公演)。
…と思っていたらば、「ウインブルドン」では時々、柱の内側にある鏡越しに青なーみんが見える。ここぞとばかりに推しサイを青に変えつつ、「鏡の中の君」とか言いつつ…鏡越しは直接見たうちに入るのかしら?
ゆいりー(村山彩希)は「雨のピアニスト」の世界観に合わせて変えたのか、冒頭3曲でのツインテールから一転して髪を下ろし、ちと大人っぽい雰囲気。ユニット明けの「Innocence」では、真正面に位置する彼女のパフォーマンスに目を奪われた。
それは曲の世界に入り込むような、演技性の高いパフォーマンスだった。思えば、かつての彼女は女優志望だった。僕もそうした光を、資質を彼女の内に見ていた。まあ…当時はキツいことを書いたりもしたけれど、それも期待の裏返しだった。
あれから5年半。この日の「Innocence」のパフォーマンスは、彼女のそうした資質を思い起こさせた。
「大好き」での振る舞いは、また少し別のベクトルで演劇的。お客さんと目が合ったらガッツポーズ、目が合わなかったらガックリポーズ。桃香(大西桃香)やきぃちゃん(佐藤妃星)との掛け合いも楽しい。僕が再びあの眼差しの先にいることはあり得るのかな…。薄れていく記憶のなかで、あの日の暖かな感情だけが残っている。
4.お見送り
お見送り。なーみんが先頭にいるのは初めてだ。彼女に手を振りながら「遠くから見てたよ」「良かったよ」「なーみん推しです」「57ちゃんロッカー使ってるんだ」と用意していた言葉を四重奏で語りかける。心の中で←
ああ…僕はいつになったらなーみんに「推し」だと伝えられるんだろう。
なぁちゃんの対応は、どこか暖かみを感じさせる。ちゃんと目を見て、僕という一人の人間を認識して「ありがとう」と言ってくれる。「ありがとう」という言葉の中に、何か心を暖かくさせる真摯さが含まれている。ゆうなぁコンビの相方ゆいりーの言葉にもあるような暖かさ。
劇場に行っていつも思うのは、持続して人気がある子は人間的にも心を打つ子だということ。
5.…
僕には悩みがある。いまの状態で果たしてAKBを推し続けられるのか…。
誰が正義だの悪だの、そんなの僕には分かりゃしない。それでも、AKSの対応は人間味/誠実さに欠けていると思う。なぜ今村さんは雲隠れしたままなのか。真相究明は第三者委員会の仕事だとして、なぜそれ以前に通常モードに移行しようとするのか。それに対するまほほんの不満がツイートの「いいね」やリツイートから伝わってくるけれど、なぜいちばん置き去りにしちゃいけない人を置き去りにしてしまうのか。
分からないことは山程あって、それらに対する説明もロクにない。新支配人は2月頭にブログをリニューアルしてから一度も更新していない。新潟日報をはじめ、各種メディアやファンが散々、これまでの対応に関して「これじゃあおかしい」と言っても、彼らは耳を貸そうとはしない。僕は48というグループには、尊敬すべきグループであって欲しいと願っているし、その運営も、プロデューサーも尊敬すべき存在であって欲しいと願っている。
いまは、残念ながらそうじゃない。
それじゃあ劇場に行くのも辞めればいい…不買運動すればいいじゃないかというのは、たしかに一つの考え方ではある。ただ、運営母体が同じだとは言え、NGTとAKBは違うという想いもやはりある。NGTファンだったら果たしてどうしてたか…は、分からないけれど、今の段階で「AKB劇場に行かない」というまでの踏ん切りは僕にはつかない。この劇場を愛しているし、なーみんやゆいりーにだってやっぱり会いたい。
かと言って、黙々と何もせずこのまま推し続けるというのも出来ない。
…だからひとつ決めたことがある。まほほん支援の証として、運営の対応に納得がいっていないという意思表示として、彼女のサイリウムカラーであるピンク・水色の非公式ミサンガ/リストバンドを身に着けて行くということ。それくらいなら公演の邪魔にもならないだろうし、僕にも出来る。
…と、思って、ミサンガを買ってあったのだけれど、当日の忙しさに紛れて着けていくのを忘れてしまった。僕は腑抜けだ。人は流れていく日々の中で、遠くの悲しみを時に忘れてしまう。これで良いはずがないと心の片隅で思いながら。情けないね。情けなさ過ぎて涙が出るよ。

