ブラックパンサー(4.5) | 想像上のLand's berry

想像上のLand's berry

言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)

 
ブラックパンサー
BLACK PANTHER
 
監督:ライアン・クーグラー
 
概要
 マーベルのキャラクターで、国王とヒーローの顔を持つ男を主人公にしたアクション。超文明国ワカンダの国王だった父親を失ったブラックパンサーが、国の秘密を守るため世界中の敵と戦う。監督は『クリード チャンプを継ぐ男』などのライアン・クーグラー。『42 ~世界を変えた男~』などのチャドウィック・ボーズマンがブラックパンサーにふんし、『それでも夜は明ける』などのルピタ・ニョンゴらが共演。(シネマトゥデイより)
 
感想
 アフリカの小国ワカンダ。広大な大地、悠久の自然。その下にじつは超文明が築かれていたのです…ってイメージは、それ自体面白いよね。この描写が白人/欧米至上主義を相対化する意味合いを持っているのは当然だけれど、単にそうした政治的意味合いだけを読み取るのならば、このイメージを縮こまらせてしまうだろう。歴史を振り返れば、「エル・ドラド」、「アトランティス」、「プレスター・ジョン」、「ジパング」etc…ヨーロッパは常に、海の向こうに豊かな文明があることを夢見ていた。このイメージは、そうした眼差しをも思い起こさせる。
 
 この映画。なんか、『星の王子 ニューヨークへ行く』っぽい? むしろ『モアナ』っぽい? いや…『バットマン』? それとも『スタートレック』? はたまた『スターウォーズ』? プロットはどこかギリシャ悲劇かあるいはシェイクスピアを思わせるし、カンフー映画やカーチェイスの要素もある。真っ赤な鎧のロイヤルガードなんかは(この前のS.W.同様に)「黒澤」っぽくすらある。この映画は足し算の映画だ。観客の見たいものをどんどん足していく。
 
 近年はこうした足し算の映画が多いように思う。MCUでは、『マイティ・ソー バトルロイヤル』もそうだった。あの映画の場合は「ごった煮感」が「世界観」を損ねていたけれど、この『ブラックパンサー』には逆にこうした映画作りが合っている。それは、この映画の主題が他ならぬ「多様性の肯定」だから。ワカンダの中にも様々な氏族があり様々な文化がある。この描写によって、単に「アフリカ」、単に「黒人」という記号で括られているものが、そのじつ様々な彩りに満ちていることが分かる。そうした多様性の描写と「ごった煮感」がうまく調和している。
 
 まあ、最後の演説の辺りなんか、いかにも「ハリウッド」だったけれどね。ぼくはいつも思うんだ。『モアナ』を見たときにも感じた。世界には様々な文化があって、そのどれもが驚異に満ちている…と、ハリウッドは言う。そして彼らの文化を取り上げる。けれど、そこで彼らが言っている(彼らに言わせている)セリフはどれもこれもみな、なんだかとっても「ハリウッド」なんだ。それってなんだかとても皮肉だね。
 
 …ふむ、どうもそういう話に持っていき過ぎだな…。そういう話の方が「語りやすい」のは確かだけれど、この映画の真髄はむしろ、そういう「読み」を吹っ飛ばすような爽快感にこそあるのかも知れない。そうした爽快感はだれしもが(民族を問わず)等しく感じられるもの…って、わー!←そっちに話を持っていっちゃう病
 
☆☆☆☆★(4.5)