本能寺ホテル (2017)
監督:鈴木雅之
概要
『プリンセス トヨトミ』の綾瀬はるかと堤真一、鈴木雅之監督と脚本の相沢友子が再び集結し、元OLと織田信長との「本能寺の変」前日の奇妙な遭遇を描く歴史ミステリー。婚約者の両親に会うために京都を訪れたヒロインが“本能寺ホテル”という宿に泊まり、本能寺の変の前日に、暗殺の標的となっている信長に出会い、信長や森蘭丸と交流するさまが描かれる。元OL役の綾瀬と信長役の堤のほか、濱田岳、平山浩行、風間杜夫などが出演。現代と戦国時代の京都を行き来するヒロインが、歴史的な事件にどう絡んでいくのかに注目。(シネマトゥデイより)
感想(注:ネタバレします)
『信長協奏曲』や『信長のシェフ』…織田信長をテーマにしたタイムスリップものって山ほどあるわけで、しかもその上、この映画には万城目さんのアイデアをパクったという疑惑までついてきた。そうして出来上がった映画には、「30秒のCMで充分じゃない?」ってな程度のオリジナリティしかない(CM<映画って意味じゃなくて、「尺」としてね)
けれど、この脚本はオリジナリティ云々以前の問題がある。
ひらたくまとめれば、婚約者に自分の考えを言えない綾瀬はるかが、織田信長と出会ったことで、自分の考えを言えるようになる…という筋書き。だのに、なぜだか綾瀬はるかは、予約もないのに快く受け入れてくれたホテルに対し、「この名前、不吉じゃありません?」とかぶしつけに宣うし、タイムスリップした先では、豪商から茶器を召し上げようとした「お屋形様」(織田信長)に対して、「そんなことしちゃいけません」と説教する始末。
うん…全然共感できないよね( ;¬_¬)
もうひとつ。これ、綾瀬はるかは自分の考えを婚約者に言えるようになり、織田信長は茶器よりも大事なものに気付くから、一見、共に歩み寄り、共に得るものはあった…ように見える。でも、ちょっと待って。よく考えると、綾瀬はるかの方はなにも価値観が変わってない。
信長の方は、(写真で見た)現代の景色を守るために命さえ捨てて、大事にしてた茶器すら投げ捨てるのに、綾瀬はるかの方は単にこれまで思っていたことを素直に言えるようになるだけ。要は、彼女と彼女の生きている現代が全肯定されるってだけの話なんだ。それってちょっと気持ち悪くない?
そもそも信長が茶器を召し上げようとしていたのはなぜか…。当時、「一所懸命」という言葉の由来通り、土地のために命を捨てる武士たちがいた。だから諸大名はみな、戦争で得た土地を与えたり、所領安堵することで家臣の忠誠を得てきた。でも、天下が統一されれば、もう与えられる土地はなくなってしまう。それって、どう考えても新たな戦乱のもとなわけで。
だからこそ彼は、「御茶湯御政道」を持ち込んだ。土地とは違い、茶器は新たに用意できるもの。これに土地と同様か、それ以上の価値を付与すれば、土地問題はある程度は解決する。実際、上野一国(群馬)を与えられた滝川一益が、それよりも茶器(珠光小茄子)を欲したというのは有名な話(群馬県民おこっていいぞ←)
ともかく。要はね、信長が茶器を召し上げたというのは、単なる趣味レベルの話じゃないわけ。茶の湯を権力者にのみ許すこと(御茶湯御政道)で、そこに新たな価値を付与するって意味があるんだ。その時代に生き、その時代に君主として君臨していた彼なりの知恵がそこにはある。戦乱の世を終わらせるんだ、という彼の強い意志が見て取れる。
綾瀬はるかは…この映画はね、その時代に生きていた人の価値観とか知恵とか、そういうものに対してあまりに無頓着すぎる。
そんなスタンスだから、彼女が、彼女ひとりだけが信長を「呼び捨て」にしたり、「さん付け」で呼んだりすることに、違和感が残る。相手や、相手の世界に対する敬意を欠いているように見えてしまう。「自分は未来から来たんだ、他の人とは違うんだぞ」って意識が透けて見えるようで、笑えるどころか、なんだかゲンナリしてしまう。
☆☆(2.0)