美女と野獣 (2017)
BEAUTY AND THE BEAST
監督:ビル・コンドン
概要
ディズニーが製作した大ヒットアニメ『美女と野獣』を実写化した、ファンタジーロマンス。美しい心を持った女性ベルと野獣の恋の行方を見つめる。メガホンを取るのは、『ドリームガールズ』や『トワイライト』シリーズなどのビル・コンドン。『コロニア』などのエマ・ワトソン、『クリミナル・ミッション』などのダン・スティーヴンス、『ドラキュラZERO』などのルーク・エヴァンスらが顔をそろえる。幻想的なビジュアルに期待が高まる。(シネマトゥデイより)
感想(注:ある程度ネタバレします<(__)>)
映画冒頭、いかにもなヨーロッパの「お城」で開かれる舞踏会。ノイシュヴァンシュタイン城みたいなこの「お城」はさておき、映画の舞台は明らかにルイ王朝期のフランス。美術も背景も衣装も、のちに出てくる村の景色もすべてそう。でも、そこには肌の黒い人々が市民として混ざっている。「これはいったいどういう歴史を辿った世界なの…?」 そこで引っかかってしまって、映画世界に入り込めない。
僕は彼/彼女らをこの映画に使ったことが間違いだと言うつもりはない。そうじゃなくて、彼らを使うんだったら、たとえばアンダルシアのような多文化混淆の土地を舞台に設定するとか、もっと舞台設定の抽象度を上げるかしないと=つまり何らかの方法でエクスキューズしておかないと、違和感があるということだ。なんの工夫もなく、ただその時代の衣装を着せているだけだと、まるでコスプレをしているみたいに見える。
(追記:舞台だったら、これは別に通るんだ。男が女を演じても通るのが舞台だ。なぜなら、舞台は「お約束」の世界だから。ステージ上と客席の間に共犯関係が成り立たないと舞台は成立しない。でも映画はそうじゃない。映画は実際にそういう世界があるものとして提示する。だからこそ、なんらかのエクスキューズが必要になる)
彼らはなんらの説明もなく、ただそこにいる。日本の時代劇でなんの説明もなく西洋人が普通に町人として登場してきたら、それはもう完全に「ネオ時代劇」だ。空からUFOが降ってきても僕は別に驚かない。つまり、この映画は、そういうものとして世界を設定してしまっている。
このことは、また別の問題を孕んでいる。この映画では、「お城」を中心とした魔法世界=ファンタジー世界と、村を中心とした当時の現実世界とが対比されている。だけど、村自体がすでにファンタジー世界(ネオ時代劇)と化しているから、両者のコントラストが薄まってしまって、魔法世界に驚きがないんだ。
コントラストが薄いということは、演出面にも言える。メリハリがないんだ。たとえば、モーリスが城を訪れて「歓迎」される場面。誰が歓迎しているか分からないから、城全体が歓迎しているように見える。主人(野獣)の心情が曖昧にされているんだ。一方のアニメ版では、時計=コグスワースが「ご主人に怒られる」と言って、歓迎モードを止めようとする。これによって主人の怖さが強調されている。それはのちの優しさの発露とコントラストを成しているわけで、実写版ではそのコントラストが薄まっている。
実写版の曖昧さは、たとえばベルが城に残るくだりでも見られる。アニメ版では、囚われた父に代わって城に残るというベルの言葉「You have my word(約束するわ)」に対して、野獣が「Done(よし)」と言って、話が決まる。つまりこれは一種の契約なんだ。契約であるからこそ、つまり野獣が自分で納得して虜囚にすることを決める(=彼女を手に入れたかった)からこそ、彼女を自由にするというのちの判断が際立つ。
でも、実写版では話がまとまらんまま、父親とヒョイっと入れ替わってベルが牢屋に入ってしまう。野獣はただ後追いでそれを承諾するだけ。ここでもやっぱり、その心情は曖昧にされている。流されるままかよ、野獣。
野獣以外にも、心情/心境が分かり難くなっている人々がいる。たとえば、ガストンの行動が変えられたことで、クライマックスに向かう村人たちの心境が分かりにくくなっている。実写版のガストンは、普通に考えたら許されざることをしているのだけれど、その「悪事」が暴かれた後にも、村人たちは彼の言葉に従う。それが不可解なんだ。「え? いま逆転したんじゃないの?」って。
もちろん(?)、アニメ版よりも優れているように思えるところもある。エマ・ワトソンの圧倒的な魅力的。この映画の吸引力のうち、6割くらいは彼女の魅力と言っても良い(あとのうち3割は家具←)。ただ、時々、耐え難い瞬間がある。なんと言うか…嘘っぽく感じられるんだ。それは何だろうな…この世界の嘘っぽさによるものなのか、それとも彼女自身の演技によるものなのか…。
ふむ…_φ(・_・
それから、出色だったのが「家具たち」の表現。アニメだったら、家具が動くというのは…まあ普通のこと。アニメだったら何でも出来るわけで、要は絵の世界だからね。アニメで家具が喋ろうが何しようが別に大した驚きはない。でも、実写(+CG)の場合、家具が喋るってそのこと自体に驚きがあるんだ。
実写版は全体として家具たちの描写…心理描写も含め…に力を入れていて、その点はとても良かった。クライマックスのくだりもアニメ版とはやや異なっていて、だんだんと「物化」していく悲哀みたいなものが出ていた。それに、実写+CGだと、実際に「物」になってしまうわけで、その特性を活かした場面でもあった。あそこは秀逸だね。
ただまあ…最後にさ、魔女の「呪い」が解けてみんな人間に戻るわけだけどさ。その描写自体は良いのだけれど、そうして元に戻った筈の人間の世界があまりにも嘘っぽくてさ。僕は、この世界を愛せない。喜べないんだ、単純に。呪われた世界の方が、家具が喋る世界の方が魅力的という、そういう映画だったな、これは。
あとはそう…吹き替えが良くない。
☆☆☆★(3.5)