「少女マンガの実写化について2」
なぜ少女マンガは実写化されるのかって話。これには、いくつかの理由が考えられるだろう。今回は、その一つ目。
70年代、少女マンガのヒット作リストには外国や過去の時代が舞台となっているものが目立つ(cf.『ポーの一族』、『ベルばら』…)。
ところが時代が下るに連れて現実現代の日本を舞台にした作品の割合が増えていく。SFに絞っても…少しずつ地面に降りてくる。70年代の『11人いる!』や『地球へ…』などは、完全に「ここではないどこか」を描いていたわけだけれど、80年代の『ぼくの地球を守って』になると、SF的設定が現代の日本と結び付いている。
日本の平凡な女子高生ありすの前世は、見目麗しい超能力者、月から地球を眺める異星人「モクレン」なんだ。『ムー』の読者欄に投稿していた当時の「前世少女たち」は、平凡な女子高生ありすを通じて自分自身をそこに投影することが可能だった。
(歴史ワープものでも同じ傾向はあって、似たような設定の『王家の紋章』と『天は赤い河のほとり』でも、70年代に連載がスタートした前者では主人公たちが外国人であるのに対して、90年代に連載が開始された後者では現実現代の日本から物語がスタートする。これは2010年代の『アシガール』でもそう)
90年代、『セーラームーン』では、話の主筋はむしろ現代日本での生活だ。SF的設定はスパイスのようにそこに添えられているに過ぎない。実際、90年代になると、ヒット作リストは現実現代の日本を描いたもので埋め尽くされていく(『花より団子』、『いたずらなKISS』…)
それはなんだろうな…やはり、少女マンガの主流を占める「恋愛」というテーマの為せるわざなのかな…身近な舞台にちょっとだけファンタジーを混ぜたくらいの方が、この「恋愛」というテーマにはマッチするのかも知れない。
少年マンガの主流である格闘マンガのように、どんどん強い相手が出てくるような構造=インフレ構造の場合、新たな強い相手は主人公の行動範囲の外から見つけて来ざるを得ないわけで、やがては宇宙や異世界へと話が行かざるを得ない(cf.『ドラゴンボール』、『幽☆遊☆白書』…)。格闘マンガは良くも悪くも、「インフレしてなんぼ」なんだ。
でも、恋愛がテーマである限り、新しい相手が次から次へと…というのは基本的にはテーマに合わない。恋愛においては、近所の兄ちゃん<宇宙の帝王みたいな構図が必ずしも成立しない。外へ行けば行くほど、どんどん魅力的な人に巡り合って…ってならない。たとえ海外に行ったとしても、やっぱりもともと好きだった人と…みたいな筋が王道になるわけで(cf.『キャンディ♥キャンディ』)
もちろん、『アシガール』みたいに、ワープした先の若君に一目惚れしちゃって…みたいな例はあるのだけれど。若君はそもそもアシガール=唯の初恋相手なわけで、ここでもやっぱり、格闘マンガのようなインフレは起きていない。感情が問題である限り、恋愛にインフレはない。
何より、自分が知っている世界、自分に近いキャラクターの方が読者の感情移入もし易いだろうし、書き手としても(心理描写を含め)細かいディテールまで描きこむことが出来る。恋愛がテーマである場合、そうした感情移入や心理描写が大事になってくるのは言うまでもない。
かくして、今日における少女マンガの主流は、読者の半径数キロ〜数百キロ圏内の世界に自足することになる。恋愛というテーマである以上、その外に出て行く必然性がないんだ(舞台装置として古代などが導入されることはあるにせよね)
これはまた、少年と少女で成長の概念が異なっているせいかも知れない。少年は旅をして大人になるけれど、少女は恋をして大人になるんだ(本当か?)
ともあれ…話を元に戻せば、現代日本を描く限り、SFやファンタジー、外国や異世界や古代を舞台にした作品よりも、実写化はやり易い。日本人の俳優を使って、その場で撮影すれば良いわけだから。その上、お客さんを呼べるような若手人気キャストも使える(それ自体に功罪はあるにせよ)
つまり、恋愛がテーマになる可能性が高い少女マンガは、必然的に現代日本を描く傾向があるから、実写化のハードルが低い。したがって、実写化される傾向がある…というのが理由のひとつ。これはまあ、考えてみれば当たり前の話。
つづく