「逃げ恥」徒然2(原作との違い)
長いっす。原作との違いについてのあれやこれやを思いつくままに。
・キャスト
ドラマ版は、キャスティングの妙があったと思うのです。とくにここで触れておきたいのは主演の2人。
マンガ版は、みくりのキャラクターがなんか…理屈っぽいんですよね。「言葉に頼り過ぎ」ってのも確かにそうで。「小賢しい」って言われるのも、ちょっと分かるな…と思ってしまったり。その上、考えていることになんだか妙な生々しさがあって。なんか原作のみくりって、いまいち「愛せない」んですよね。
そこで、ガッキーですよ。あのキュートさ! 何でも許せちゃう(笑)。それに、あの子って、なんだか存在がフワフワしてるじゃないですか。みくりの理屈っぽさとか生々しさが、それで中和されてるんですよね。同じこと言ってても、ガッキーが言うと不思議とOKになっちゃう。
一方、原作の平匡は、みくりの場合とは逆に、記号的というか…ちゃんとそこで暮らしている感じのしないキャラクターですよね。どういう趣味の人かも分からないし、無味無臭で匂いが感じられないんです。
そこに星野源さんという。あの方って、サブカル臭がするというか、いい意味で匂いのする人じゃないですか。そのことによって、平匡というキャラクターに生の存在感が与えられたように思います。ちゃんとそこで生きている人だと感じられるようになった。
これって、たぶんとても大きくて。原作の「愛せなさ」って、みくりのキャラクターもさることながら、平匡が記号的なせいで、みくり視点の物語に思えてしまうことが原因だと思うんです。その独りよがりな感じが原作自体の「愛せなさ」に結び付いている。
ドラマのみくりは愛せるんですよ。それって、単にガッキーがキュートってだけじゃなくて、ちゃんと2人の物語になっているからでしょう。星野さんの存在感によって独りよがりさが相殺されているというかな…ちゃんと生きている同士がぶつかって葛藤しているように見えるからこそ、いかに理屈っぽくとも生々しくとも愛すべき存在に思えるという。
ドラマ版が群像劇になっていることもたぶん大きくて。みんな何かの悩みを抱えていて、それでも生きている。いかにもドラマっぽい作りですが、原作のもつある種の視野の狭さをどう解消するかって点を考えると、その作りが有効だったように思います。
そうした積み重ねが、このドラマ自体のキュートさに結び付いているのかなと( ..)φ
・脚本
このドラマは脚本も上手いですよね。理屈っぽかったり、湿っぽくなりそうなところでパロディの想像シーンを挟み込む。そのことによってドラマ全体が軽快なものになっています。想像シーン自体は原作にもありますが、ドラマではより意識的に用いられていて、物語のテンションをコントロールしているように思います。
もうひとつ上手いと思ったのは、風見との三角関係をあの「新婚旅行」でスパッと切ってしまったこと。なんかありがちじゃないですか、三角関係でウダウダウダウダ…そういうのウンザリなんですよね。
あそこで切れたことで、このドラマがドロドロとした恋愛模様を描くものではなく、2人がどう関係を築いていくかを描いていくものである…ということがハッキリしたように思います。原作だとあそこでスッパリ切れるわけじゃないので、あれは英断だったですね。
・物語の流れ
原作の場合は「エチュードのように作っている」と作者が書いているくらいで、物語があっち行ったりこっち行ったりします。流れが見えないんですよね。
対して、ドラマ版は11話という決まった枠の中で構成しているので、流れが明快です。エンディングに向けた流れがはっきりと見えますよね。原作が続いている状態で一応のケリをつけなければならなかった状況の中では、ほぼベストの解答だったと思います。
ただ…
ドラマを見ていて思ったのは、あの2人が「僕ら普通じゃないよね」と言いながら、結局は「普通」に向かって進んでいくということ。入り口は普通じゃないけれど、出口は普通になっているというか。そのせいか、後半は「夫婦あるある」みたいなネタが増えていきます。
普通じゃない人々が普通になっていく…というのは、それ自体ひとつのドラマですが、それはまた一方で、「普通じゃない」というアイデンティティを失っていくことにも繋がります。つまり、最初は「こっち側の話」だった筈が、最終的には「あっち側の話」になる。
きっと、僕ら「こっち側」の人はどっかの瞬間で気付くんです。「あれ…こいつら結局、普通に街で見かけるイチャイチャカップルじゃねえの…?」って。その辺に一抹の寂しさがあったといいますか…←←
何人かの人から、「このドラマ、話題になっているので途中から見始めたけれど、なにが面白いかよく分からなかった」という話を聞きました。後半になるに連れ、普通に相思相愛のカップルになっていくので、途中から見てしまうと普通のドラマに見えてしまうのかも知れません。
原作の場合、その辺に揺らぎがあるので、単純に「普通」に向かって進んでいくという印象はなくて。だからこそ、まだ続けられているわけでしょうし、逆に言うと、ドラマの方はこれでケリがついちゃってるので、続編あってもな…って気持ちも分かる気がします。
・セリフ
細かいところも原作とドラマでは異なります。たとえば、あの新婚旅行。マムシドリンクのくだりは原作ではないんですよね。あれ、くだらなくて僕はすごい好きなんですが(* ̄艸 ̄)
ただ、マムシドリンクのくだりを入れたことで、その後のみくりの「平匡さんのテリトリーに入れてくれるのかな…」ってモノローグがより直接的な意味になっています。マムシドリンクを見てのそのセリフはヤバイでしょ(≧∀≦)ノ
ドラマでは、原作の流れを融かした中に原作のセリフをはめ込んであるので、ところどころセリフが浮いているように感じられるところがあります。最初にドラマを見た時に違和感を覚えたところは、大体、そんな感じでした。
セリフ自体が変えられていて「ん?」っと思ったのが、百合さんが風見とドライブをするシーン。あそこ、ドラマでは「あなたが思っているより、ずっと遠くまで行けるのよ」ってセリフになってますよね。あれも良いシーンですが。
原作だと、桜並木道(かな?)を通りかかるところで、「あなたが思っているより、ちょっとだけ先まで行けるのよ」ってセリフになってます。これは分かるんです。つまり、電車+徒歩で行くより、車だと「ちょっとだけ先まで」行ける。
ドラマ版の「ずっと遠く」の方が言葉としては強いですし、映像の力があるのでなんとなく雰囲気で誤魔化されちゃいますが、よくよく考えてみると、ちと意味不明だなあって。
・少女漫画っぽさとドラマっぽさ
「少女漫画っぽいなあ…」と思ったのが、あの最初のキスシーン。あれ、良いシーンですが、あそこでキスってのが「いかにもだなあ」って。星野さんの存在感もあって、このドラマからは少女漫画っぽさが抜けていたように思いますが、あのシーンだけはもう完全に少女漫画でした。
原作だと、あのシーンはまずみくりが手を繋ぎにいくんですよね。で、平匡がテンションが上がっちゃって…という。ドラマの方が劇的ではあるのですが、気持ちの流れとしては原作の方が自然かなと思いました。逆にドラマ版の方が少女漫画っぽさが際立っているのがちと面白いっすね。
逆に「ドラマっぽいなあ…」と思ったのは、あのプロポーズのシーン。あそこは僕は「玉に瑕」だと思っています。と言うのも、あの展開を作るために、必要以上に平匡が鈍感になっているからで。初期ならともかく、あの段階の平匡があそこまでみくりの心情を無視した行動をするとは思えないです。
ラブコメとかでよくありますよね。相手がめちゃめちゃ「好き好きオーラ」を出しているのに、まるでそれに気付かないやつ。そりゃあ嘘だろうって。あの感じに近いです。物語の展開のために、キャラクターの性格が犠牲にされている。実際、原作を読むとああいう展開ではないんですよね。
まあ、ドラマとしては最後に乗り越えるべき障害を作らなければならないでしょうから、意図としては分かりますし、実際、効果的だったとも思いますが…。ただ、あれは違うな…って。ドラマで不満だったのはあそこくらいかなあ…。
総じて、原作の方が納得感はありますが、面白くはないし、愛せない。ドラマの方はいくつか瑕疵はあるものの、それを補って余りある魅力がありますし、愛せるってかんじですかね~( ..)φ