「クラナッハ展」(国立西洋美術館)
12月の寒空。ぼくは東京に居た。
「こんな寒い日に外に出たくない…」とか思いつつ…あれ? 「寒い」とか出来るだけ使わないように、くまに言ってたのだれだっけ…? はて?←知らんぷり
だけど、寒いもんは寒いもん。まあ、そんな寒空の下。上野に用事があるから仕方ない。「そういや、西美でクラナッハやってるわ」って、その程度のモチベーションで出かけた。いっつも思うんだ。芸大の場所は羨ましすぎる。
休日のお昼で比較的に混んでいるけれど、まあそもそも、クラナッハじゃそんなに人は集まらない。「そんな言いぐさはオールドマスターに失礼だろう…」なんて、まったく思わない!←
歪みや弛みを取り入れた人体の造形。ローマ彫刻や鎌倉時代の仏像を彷彿とさせるような、「個性」が表出した顔。極端な遠近法、まるではめ込み合成のような窓外の風景。まあ、それなりに面白くもあり、つまらなくもあり。
くまが一緒だったらなあ…とか、でも、こういうところに来るんだったら、鎌の方が…とか、いや、あの子が好きなのって、たしか徳川美術館とか渋い系だったから、むしろ東博に行った方が…とか、そんなくだらない浮気妄想をしながら展示室を渡り歩いていく。
「いかにも」な絵画群が並ぶなか、目に留まったのが、↓の夫婦像。顔の陰影や刻まれた(あるいは刻まれない)皺が、夫妻の「人となり」というものを、とてもよく表している。「親しき中にも礼儀あり」とでも呼べそうな厳しい表情と、警戒感のある姿勢。交わらない視線。だけど、瞳の中にはお互いへの信頼感を湛えている。

Portrait of a Married Couple (of Schleinitz?)
Lucas Cranach the Elder

そして、「主役」が現れる。ユディト。生と死が対比される。状況の激しさとは裏腹の静かな静かな画面。黒白赤の瀟洒な色調は、マクロな構成を成して全体へと目を向けさせ、刺繍の稠密さや髪の繊細さは、ミクロな部分に目を向けさせる。そして、感情の読み取りを拒絶するような表情は、かえって心の深淵を覗いたような気分にさせる。

Judith with the head of Holofernes
Lucas Cranach the Elder
だけど、そんな言葉ではこの絵の「重力」を表すことは不可能だ。ウィーンの美術史美術館所蔵作品だから、ぼくは現地で見たことがある筈なのだけれど、宝石の山に囲まれていたあそことは違い、ここでは、彼女は「王」であり「皇帝」だ。すべての絵が彼女に跪く。誰もその重力には抵抗できない。
…まあ、結局、わりと感動してしまったわけで…(-_-;)
チラッと時間があまったので、常設も回る。いっつも思うんだ。しかめつらしい宗教画や歴史画、写実主義の絵画を通り抜け、ブーダンの明るさに触れた時、僕は救われた気分になる。明るいって大事よね…ね?

Beach of Trouville
Eugène Boudin
用事を済ませ、帰り道。空は暮れなずんでいる。上野公園はイルミネーションに彩られ、カップルたちが肩を寄せ合う。まるで別世界のように暖かく照らされたカフェの店内では、友達同士が楽しそうに談笑している。そんな光景を眺めながら、ぼくは思うんだ。きっと、世界に冬がなかったら、人々はこんなにも身を寄せ合うこともなかった。
前日にLine Liveの収録を終えたくまは、翌日のラジオ収録を控えて、この日も東京に居る筈だった。ぼくは、この空の下どこかに居る筈のくまのことを考えた。きっと、アイドルって本当に一人でいる時ってないんだよ。だって、いつも誰かしらが想っているんだから。それって、きっと幸せなこと…だよね。
家に帰り、夜が過ぎ。くまからのモバメが届く。「今日は一人だったけれど、別にぼっちってわけじゃないからね!」ってそんな内容。いかにもアイドルらしいな…。ぼくは、そんなくまがとても微笑ましくて、かわいいと思う。