「小さな反乱」
1.
真相はやぶの中。まるで、なにも起こらなかったかのように、以前と変わらないような日常が続いている。心にかかったモヤモヤだけが、あの土曜の夜から木曜の夕までのことを問いかけさせる。「あれはいったい、何だったの?」と。
正直、迷っている。結局のところ、くまは、僕に…つまりは「黒髪厨」といわれる人たちに…応援してもらって本当に嬉しいのかな…。僕の存在って、本当にくまのためになってるの…?
僕は、「黒髪厨」のなかでも最右翼であることを自覚しているし、そのことを隠したこともない。これはもう一種の宗教みたいなもんで、気持ち悪いと言われようが何だろうが、譲れないもんは譲れない。
でも、ここまで激越な反応になるんだな…って、自分でも分かってなかった。くまは明らかに特別な存在だから「もしかしたら許せてしまうかな…」って気もしてたんだけど、でも実際はまったく逆で。色々な経緯もあって、「裏切られた」って気持ちが何にも勝っていった。それはどこか、母親に見捨てられた子どものような気分だったかも知れない。
そんな時、上坂すみぺのラジオを聴くと心が和んだ。彼女は「こちら側」の人間だって気がした。鎌ちゃんに「一時退避する」とか言っておきながら、次の日にはもうSKEからは全面撤退しようって気分になっていた。僕は嘘つきだ。人は、なぜ嘘をつくんだろうね。僕を見捨てたくまのことを、少しでも遠ざけたかった。すべてを忘れてしまいたかった。心がボキッと折れる音が聞こえた。
それでも、大好きな気持ちは途切れなくて、すみぺやなっきぃのことも好きだけれど、でも同時に、くましか好きじゃなかった。冬みたいな秋空の下、考えていたのはくまのことだけだった。論文も書かなきゃいけないのに、ロクに手もつかずに、気が付けばいつものようにSNSの更新をチェックしていた。
「裏切られた」って気持ちと、「大好きだ」って気持ちが交互に押し寄せてきた。僕は押し寄せるその波に揉まれながら、「なぜ見捨てられたんだろう」って自問自答を繰り返していた。そして、「もうここには居られない」って気がしていた。それは、ここ数日の僕のツイとかブログ記事、アップした曲なんかで明らかだったように思う。まるで、当てつけみたいだね。
分かってる。ぼくはサイテーだ。
2.
結局、すべてが元どおりに戻ったかに見えるいま。まるで何も起こらなかったようで、でも心のモヤモヤは晴れない。
くまはいつも通り、何も言わない。結局、元通りに戻ったわけだから、それがくまなりのメッセージなんだと考えられないこともない。ただ、「行動のすべてはメッセージ」だから、あの土曜の夜から木曜の夕までのことをなかったことにも出来ない。それらすべてを含めたメッセージを僕は受け取ってしまう。やっぱり本音ではどうなんだろう…って。
僕は、子どものようにわがままだ。強制ではなく、自らの自発的な意志で選びとって欲しい。これだけ大騒ぎしておいて、何を言ってんだって、ね。でも、それが同じ夢を見るってことの中身なんじゃないかと思う。「センター宣言」ってのは、誰に強制されたわけでもなく、そうしたものを掴み取る道を自ら選んだって、僕は捉えた。だからこそ、今回ガックリもしたわけで。
くまはいま、何を考えているんだろう。あの子は、友達やメンバーには相談するけれど、ファンには弱音を吐かない。本音も言わない。「いつも明るく元気で」。それが、彼女の思い描くアイドル像なんだろう。いつだかの公演MC、小石に、2人でカフェに入ったけれど注文もせずに出てきちゃったという話をされて、「それ言わないでよ~」と反応していたことを思い出す。アイドルとして、そういう部分は、決してファンには見せたくないんだ。
あの子のSNSやモバメが時に薄っぺらく見えるのも、あの子自身が薄っぺらいんじゃなくて、心の内の葛藤とか、その時に悩んでいることを、ファンの前に出さないからなんだろう。いつだか親分子分でニコ生MCをした時も、まるで薄っぺらで、かおたんがやってきて「ネットでつまんないって言われてる」「もっと深い話をしなよ」って促されて、それでようやくそういう話をし始めた。
ファンがアイドルの私生活を想像すべくもないTV時代ならいざ知らず、SNSの発達によってアイドルをめぐるあらゆる情報が表層化する現代においては、くまのスタイルは「オールドタイプ」と言っても良い。そもそも裏を隠すことが不可能になっている現代のアイドルは、逆に裏の部分を積極的に晒していくことで、ファンに親近感を与える。
くまのスタイルは、まるで機械化時代の軽騎兵を見ているようで、そうした愚直なスタイルに古き良き時代のノスタルジーを覚える人もいるだろう。だから、それ自体が悪いとは言わない。
けれど、こじはる先輩が喝破していたように、いまの48では、勝てるフォーマットというのがある程度決まっている。とりわけ重要だと思えるのが「ファンにしか心を開かなくて、陰がある」ということで、その子にとってはファンだけが頼りになるし、だからこそファンもその子を必死で支える。自分たちだけが、その子の支えだって信じるから。
指原莉乃は明らかにそうだし、だからこそ、こじはるだけはあの子がペーペーの頃から異常にライバル視していた。こじはるは分かっていたんだ。(ぼく自身、さっしーの寂しげなところにヤラれていた口だから、それはよく分かる)
そこで意味を持ってくるのが、SNS(+握手会)。本来は遠くにいるはずのアイドルとファンとを結びつける。これなくして、現代におけるアイドルとファンの密接な結びつきは考えられない。実際、指原莉乃はブログで名を上げたわけだし、いまでも各種SNS(SR含め)の使い方は抜群に上手い。
少し話が逸れた。こうやって書くと、あたかもくまに「見習え」って言ってるように見えるかも知れない(まあ盗めるところは盗めば良いと思うけど)、でも本当に言いたいことはそういうことじゃない。
くまは多分、変わらないだろうなって。きっとこれからも、ファンには本音を言わない。「お前の言う性格の歪みも、齢19にもなってると、もうどうしようもねぇ」ってのは、相楽左之助(るろうに剣心)の台詞だけれど、ものの考え方とかはそう簡単に変えられるもんじゃない(くまの性格が歪んでるって意味じゃなくてね)。
熊崎晴香を推すということは、そういう熊崎晴香と付き合っていかなければならないってこと。あの子は本音を言わないから、あの子を取り巻く周りの人々から、さらに一歩離れて遠巻きにして見守るしかない。とくに僕は、ほとんど現場に行かないから、なおさらそうだ。
それでもね、想いは一緒だって信じられるなら、大丈夫なんだ。いくら表層的には軽く見えても、いくら「オールドタイプ」な戦い方をしようとも、想いは一緒だって信じられるなら、ついていくことができる。
今回のことは多分、そうしたもの…信頼…結び付き…に楔を打ち込んでしまった。「え? どういうこと?」って。「同じ夢を見ていたんじゃないの?」って。
そうして僕は、母親に見捨てられた子どもみたいに「周りと僕(ら)といったいどっちが大事なの!?」って、「こっちもちゃんと見てよ!」って、恥ずかしげもなく泣き叫んで、そうして「こっちから出てってやる!」って見苦しく喚いて、結局、くまに引き留められたのかどうかも分からないまま、なんとなくまだここに居る。分かってる、僕はサイテーだ。
いまでも、いつ破裂するかもしれない爆弾を抱えているようで、「また見捨てられるんじゃないか…」って、とても不安な気持ちになる。あの子に「センターを獲りに行く覚悟が出来ていない」って書いておきながら、自分自身、そういうくまと向き合っていく覚悟が出来ていないんだ。