悲しいこと(『君の名は。』擁護論) | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)

注:ネタバレは基本的にしません
「悲しいこと」(君の名は。擁護論)

(前略)同じアニメでも例の大ヒットしてるアレとは別次元の素晴らしい映画でした

1.
 『この世界の片隅に』が絶賛される一方、そのことをもって『君の名は。』下げをしようとする人たちが一部に居る。代表的なのは、まとめサイトにも掲載されたこの方だろう。まあ、そんなのは無視すれば良いのだろうけれど、その理屈があまりにこの手の典型的なものだった↓から、それに対する僕の考えを書いておく。

「君の名は。」のどこに「深くて重いテーマ」が内包されているのか、誰か教えてくれ。納得できるように教えてくれ。で、もしあったなら俺の負けだ。土下座するわ。でも、ないならそれを「名作」とは呼ぶな。ただの商業的なヒット作に過ぎん。10年後20年後には忘れ去られるただの映画に過ぎん。

 疑問。あなたは映画における「名作」をどう定義してらっしゃいますか? なぜ、名作には「深くて重いテーマ」が必要だと思うのでしょうか? シュルレアリストたちの試みについては、『アンダルシアの犬』については、どう考えてらっしゃいますか? 

追記:『アンダルシアの犬』について、淀川さんは「名画撰集」でこんなことを語っている。

映画というのは、こういう事も出来るんだな。文学では出来ない事をやるんだな~。目の感覚のこんな怖さも観せるんだな~いうので、そこが、勉強になりましたよ。 (淀川長治)

(シュルレアリストのテーマは「夢」とか「無意識」だという向きもあるかも知れない。しかし、そのレベルで語るなら、エンターテインメントのテーマは「娯楽」であって、そのテーマは人々を楽しませることによってのみ達成される)

 そもそも、あなたが愛してらっしゃる『スター・ウォーズ』のどこに「深くて重いテーマ」がありますか? あれこそまさに、「商業的なヒット作」と見なされてきた作品の最たる例ではないですか? そのことによって『スター・ウォーズ』の価値が減じますか?

 ぼくの考えでは、『スター・ウォーズ』はキャンベルの神話論や黒沢映画など、人類がもつ古典的な物語構造を当時最新鋭の映像で見せたことにこそ妙味がある。そして、それが大ヒットをしたことによって、廃れつつあった古典的な物語が劇的に復活を遂げた。

 最近では、『マッド・マックス 怒りのデスロード』が同じ作り方をしていた。あれはまさに「行きて帰りし物語」だから。でも、素晴らしかった。昨年度のベスト映画と言って良い。古典は、つねに更新されるんだ。

 そしてそれは、まさに『君の名は。』の作り方そのものだ。いまや古典となった大林映画の構造をベッタベタの物語にまぶせ、現代における最高の技術(背景、エフェクト、作画陣…少なくとも2Dベースのアニメに関して、あれ以上の映像はいま現在どこにもない)をもってアニメ化した。

 「深く重いテーマ」などというテーゼを掲げながら、かたや、『スター・ウォーズ』を絶賛し、かたや、『君の名は。』を貶すというのは、ダブル・スタンダードではないだろうか。『君の名は。』は、むしろ『スター・ウォーズ』にこそ似てるんだ。SF的設定が微妙にゆるいところとかもそっくりじゃん←

2.
 また、かの人は批判に対してこんな反論(?)を行っている。 

夏目とか太宰とか三島とか川端とか大江とかドストエフスキーとか開高とかサリンジャーとかフィッツジェラルドとかキューブリックとかコッポラとかトリュフォーとかリンチとか岡潔とか(もう面倒くさいから全部書かないよ)、そーいうの全部観て読んでから物言えよって思うよ。
 疑問。「夏目とか…観て読んでから物言え」と仰いますが、なぜ文学や洋画だけが『君の名は。』を測る上での指標になるのでしょうか? あなたは『君の名は。』の文脈をすべて踏まえた上で仰っていますか? アニメ史については学ばれたのでしょうか?

 ここに挙げられている名前が、この人の見方を示している。とどのつまり、この人は単に、自分の物の見方に縛られているだけだ。対象作品の文脈に寄り添おうともせず、自分が読んだ作家や鑑賞した映画作家の名前を羅列しただけじゃあ、彼らの権威を借りただけで何も語ったことにはならない。

 それがありだったら、ぼくはこう言おう。

 ホメロスとかノヴァーリスとか宮沢とかボルヘスとかガルシア=マルケスとか安部とかアシモフとかブラッドベリとか筒井とか萩尾とかアンゲロプロスとかカーティスとかゴンドリーとか大林とか岩井とかバードとかパークとかペトロフとか今敏とかシュレーディンガーとか(もう面倒くさいから全部書かないよ)、そーいうの全部観て読んでから物言えよって思うよ。

 ねえ…それって意味ある?

 そもそも、「夏目とか…」っていう文学を基準にした見方が、すべてに対して適用できるわけじゃない。こうした人の語り口は、『アナ雪』を見て「内容がない!」って批判してた人たちを思い出させる。

 たとえて言えば、玉ねぎをどんどん剥いていって、最後に「実がない!」って怒っているようなもん。あのね、あなたが剥いちゃったそっちの方を食べるの、それは。そして、『アナ雪』は玉ねぎとしては最高の玉ねぎだったよ!←褒めてるんだか…

3.
 断っておくと、ぼくは別に新海信者ってわけじゃない。もちろん、彼に対する想いに並々ならぬものがあるのもたしかだ。このブログをはじめて間もない頃、ぼくは、「彼が僕が撮りたかったものを全て撮ってくれる。そう信じた」と書いている。

 でも、だからこそ、これまでさんざん批判もしてきた。『星を追う子ども』の出来には失望したし、一部の人には評判の良かった『言の葉の庭』もケチョンケチョンに貶した

 『君の名は。』だって結局4.5点評価だったわけだから、完璧な映画だと思っているわけでもない。一方の『この世界の片隅に』には5.0点満点を付けているわけだから、『この世界の片隅に』の方が優れているという見方も、理解できないことはない。

 でも、いま圧倒的な興行収入の裏で一部の人が行っているような「下げ」に相応しいような、そんな映画じゃないよ、『君の名は。』は。それには全然、同意できない。明らかに多くの美点がある映画だし、だからこそ、これだけ人を集めているわけで。

 宮崎さんの引退、ジブリが解散、期待された細田さんの『バケモノの子』もそこまでのヒットは飛ばせなくて。『ガルパン』とか『キンプリ』とか、アニメ・ファンの間で話題になる作品はあっても、一般の人が語れる日本産のアニメ映画はなくなった。そんな閉塞感のある状況で生まれた特大のメガヒット。

 「新海さんやったなあ!」って。メジャー志向の作品を求められて、それにちゃんと答えてみせた。自身の持っているダサさとか恥ずかしさを捨てずに「ベスト盤」として構成しながら、でもちゃんとメジャーで受けるように(田中キャラとかRADとか神木キュンとかで)色々とコーティングして、そしてさらに、ストーリーテリングの弱点を大林的古典と川村的ベタさとで克服した。

 そうした場合、得てしてちぐはぐなものが生まれそうだけど、『君の名は。』では、すべてがちゃんとあるべき場所に整えられている。ごちゃごちゃと入れているわりに、もの凄くシンプルなんだ。その意味ではもう、100点どころか120点の解答と言っていい。「新海さんやったなあ!」って、ぼくがいま思っているのはホントそれだけで。「よかったなあ」って。

 内容がないとも思わないんだ。『君の名は。』は、明らかに3.11(そして『秒速』)のトラウマに対する「救い」を提示する映画であって、そこでやっていることは、イーストウッドが『ハドソン川の奇跡』でやったことに近い。あの防災警報が鳴り響くとき、僕は胸がグッと締め付けられる。あそこで僕はいつも泣きそうになる。「みんな逃げろ…!」って、その「想い」が痛いほど伝わってくるから。

 一方の『この世界の片隅に』では、空襲警報が鳴り響く。その音が意味するもの。その違い。ぼくは『この世界の片隅に』を見た後に、『君の名は。』をまた見たくなる。どっちが良いとかってんじゃなくて、僕の中では、その両者は相補的な関係になっているんだ。

 なんで、『この世界の片隅に』を上げるために、『君の名は。』を下げなくちゃいけないんだ。それが悲しくてやりきれない